<肘肩に注意>
腕は自由自在に動いてしまう、だからスマッシュもクリアーも力任せに腕を強く振って飛ばそうとする。
そこに、肘肩を壊す原因がある。
強く振る打つ時は身体を中心に使って打つ事だ。
今、肘や肩が痛い人は振り方が間違っている場合があるから注意したい。
身体に振っているのなら故障する事は無い。
永いバドミントン人生にする為には楽しいバドミントンライフにする為にはこういう基本を大切に学んで欲しい。
塾長 石場
<肘肩に注意>
腕は自由自在に動いてしまう、だからスマッシュもクリアーも力任せに腕を強く振って飛ばそうとする。
そこに、肘肩を壊す原因がある。
強く振る打つ時は身体を中心に使って打つ事だ。
今、肘や肩が痛い人は振り方が間違っている場合があるから注意したい。
身体に振っているのなら故障する事は無い。
永いバドミントン人生にする為には楽しいバドミントンライフにする為にはこういう基本を大切に学んで欲しい。
塾長 石場
<ちゃん、君は他人の子供を呼ぶときに使うもの>
責任のない呼び方がちゃん、君です。
我が子に対して責任を持って育てるならば、ちゃん君では到底上手くいきません。
我が子が可愛いのはわかりますがちゃん君呼びはペット扱いしているのと同じです。
責任を持って育てるときに可愛いなんて言ってられません。
他人様に迷惑をかけないように他人様を傷つけないように真剣に必死に育てなければなりません。
ダメな時は「〇〇ちゃんダメですよ!」って言って叱っても心に響きません。「〇〇それはダメ!」と強く言わないとダメです。
育ちの良い子はそれでも分かる子もいると思いますが、ほとんどの子は分かったふりをしているだけです。
心に響かないと変わらないのです。
だから私はクラブの子供たちは我が子同然で育てようと思っていますのでちゃん、君はつけません。
ちゃん君では遠慮がでます、踏み込んでとことんという感じではありません。
本当にダメな事は子供自身が「これはまずかったな」と心から反省するくらい怒られなければならないのです。
そうでないと、他人を傷つけたりするようになってしまったり、自分自身が危険な目にあってしまう事になるのです。
ですから、これから我が家でちゃん君で呼ぶのをやめてはどうでしょうか。
傍目から見てちやん、君と呼んでいる光景はどこか良い家柄を演じているようにしかみえません。
子育ての第一歩はちゃん君をやめる事だと私は思っています。
塾長 石場
<ミスしたショットを忘れる為には>
ミスしたショットはすぐに忘れる事が大事です。
どのようにしたら忘れる事が出来るのか?
それは、ミスした時に感情を出さないようにすれば脳に記憶されにくいのです。
ミスした時の感情が大きければ大きいほど脳に記憶されて残ってしまいます。
ミスした時は平然な顔で「あれミスした」程度にしておけばいいのです。
逆に良いプレーラリーが出来た時は大いに喜びの感情を表に出す事で良いイメージが残る。
ショットが決まった時は飛び跳ねて喜びを表現すればいいのです。
喜びを表現できない人は暗い、暗いからどんどんテンションが上がっていかないのです。
元気に声を出す事もこれに繋がってくるのです。
塾長 石場
<人の基準と正解不正解>
人の基準はどうやってできるのか?
それは、その人の経験値から来るのです。
経験した事の無い事は何もわからないけど、経験したことは良く分かる。経験したことは基準ができるが、経験したことがなければ基準を作る事が出来ない。
だから、人の基準は100通りあるのです。
その人の経験が全てでその経験が基準を作りそれがその人の正解となるのです。
また、不正解も同じです。
だから、正しいと思う事も不正解と思う事も人によって異なるのです。
正解は全てに人のとっての正解ではないのです。
だから、違いが起こり成長に仕方の変わってくるのです。
上手くなる人の基準と正解が上手くなれない人の基準と正解が違うから差が生まれてくるのです。
沢山の経験をしてきた石場だから言える事が沢山あるし、基準も他の人と違うし、考え方も違う、捉え方も違う、発想も違う、皆さんは石場の経験したことを聞く事で知る事で自分自身が経験した事と同じになるのです。基準を変える事が出来るのです。
この石場塾で学び実行していく事で他の人と差をつける事が出来るのです。信じて頑張って学んで下さい。
塾長 石場
<正しい正しくないの基準>
正しいか正しくないかはどうやって決まるか?
それは、その人にとって得か徳ではないかで決まります。
例えば、試合練習の時に自分は1回少なかった人と、1回多かった人とは言い分が異なります。
少ない人は単純に自分の方が不利益を得たそれは正しくないとなる。
1回多かった人は色んな理由を付ける事ができる。
自分の方が上手いのだから1回多いのが正しいとなる。
全ての出来事の中で自分にとって利益なのか不利益なのかで全く正しい正しくないの論争が巻き起こる。
だから、争いが起こるのだし、それを仲裁する裁判所があるのだ。
正しいか正しくないかはその人にとって異なるのだから人というのは面白いですね。
塾長 石場
<昭和の教え>
昭和の教えは今の時代でも大事な教えだと思っていますが、何故か間違った方向に向かっているように思う。
私は昭和36年生まれで戦争を生き抜いた親に育てられたから、
お年寄りを大事にしなさい!
後ろ指を指される様な事をしてはいけません!
思いやりを持って人に接しなさい!
義理人情を大切にしなさい!
喧嘩をするときは一対一で正々堂々素手でしなさい!
喧嘩が終わったら仲良くしなさい!
物を大事にしなさい!
食べ物を粗末にしてはいけない!
今、昭和の時代ではあり得ない出来事が続いています。
お年寄りを平気で騙すオレオレ詐欺!
官僚の公金横領!
みんな優秀な方ばかりだとおもいますが、頭がよくてもこれでは最低ですね!
何のために勉強してきたのか?
人を騙す為?良い所に入って横領をする為!
もちろん一部の人の事ですがひょっとすると氷山の一角なのかもしれません!
今起こってることは全て生まれてからの教育が環境が作り出しているのです。
その責任はそんな教育をしてきた環境にしてしまった我々にもあるのです。
だから、少しでも住み良い世の中になる様、身近な所から人間教育をしていきましょう。
まずは挨拶と返事を聞こえるように明るく元気な声でしましょう!
後ろ指を刺される様な事をしてはいけません!
お年寄りを大事をしなさい!
思いやりを持って生きていきなさい!
奢る事なく謙虚に生きなさい!
正々堂々と勝負しなさい!
まずは我々自身から実践して行動を持って背中を見せていきましょう!いく必要があると考えます。
塾長 石場
<転ぶなら前向きに転べ>
どうせ失敗するなら転ぶなら前向きに転べばいい!
失敗する時に後ろ向きに失敗しても何も得られないが前向きに失敗すれば得るものは沢山ある。
同じ失敗でも次に繋がる失敗なのか?つながらない失敗なのか?
失敗は成功のもとと言われるが、前向きな失敗しか成功のもとにはならない。
転ぶときは後ろに転ばないで前に向きに転べ!
塾長 石場
<なりたい自分となれる自分は違う>
みんな目標とする選手がいると思うが、目標とする選手になれるかどうかは分からない!
何故なら、目標とする選手と自分が違っていて、背が高くて手足が長いだったり、動きがめっちゃ速かったり、テクニカルが凄かったり、憧れる目指したい選手は色々だろう!
なりたい選手を目標に努力をする事はとても大切なことではがあるが、結局は自分は自分でしかないのだから今の自分でできる事を得意な事を伸ば事を頑張って欲しい!
もっと言えば、自分の得意な事を伸ばして伸ばす事で自分のオリジナルが出来上がり、それをみた他の選手の目標になるかもしれない!
そうなれば強くなっている事になる。
塾長 石場
<友達のふりした敵が近くにいる>
何か新たなチャレンジをしようとする時に決まって「無理だよ〜、無理じゃない、おかしいよ〜変だよ~」と心配してくれる友達がいませんか?
その人の真意は、もしチャレンジして上手くいかれたら嫌なんです、上手く行って自分より先に行かれるのが嫌なんです!
だから、心配する姿勢を見せているけど実は反対してるんです。成功して欲しくないんです。
友達が自分のことを心配して忠告してくれるのだから、やっぱりやめとこうか!とチャレンジしないって事はまんまとやられているんですよ!
上手くいかなくても良いじゃないか、悔いを残さないためにも、後悔しない為にも、自分がやろうと決めたならやりましょう!
人が何を言おうと突き進む力が無ければ、いつになっても誰かの後をついていく人生になりますよ!
人生は自分で決められる、前に出ようとする事も、後からついていこうとする事も自分で決められるのですから、前に出ようと思うのなら自分を信じる力が必要です。
他人の言葉に惑わされない信念が必要です。
がんばれ〜〜!未来は明るいぞー!
明るくするもの自分しかいないぞ〜〜!
といってくれる友達が本物の友達です。
応援してくれるのか止めようとするのか見極めが大切ですね。
塾長 石場
<自分の得意なもので勝負しろ!>
人は得て不得手があります。
自分の好きな事嫌いな事があります。
自分の好きな事は得意な事になるだろからその得意な事で勝負すれば良い!
バドミントンで言えば、ドロップが得意なら誰にも取られない様なドロップを身につけて勝負すれば良い!
クリアーが得意であるならば、しつこくしつこくクリアー勝負をすれば良い!
スマッシュが得意ならばスマッシュで勝負すれば良い。
その得意がひとつより、2つある人、3つある人、4つある人はもちろんたくさんある方が強いと言う事になります。
まずは得意がない人より得意がある人を目指して頑張りましょう。
全てが平均点の人は強くなれない。
何でもいい私はこれが得意というものを身に着けましょう!
塾長 石場
<どうにかなるさ>
テレビでは悲しいニュースが流れていますが皆さんは大丈夫ですかか?
自殺された方は恐らく真面目で何事も一生懸命になられる方ではないかと思っています。
真面目だから自分を追い込んでしまうのでしょう。
自分を救うのは基本的な考え方だと思っています。
何事も真剣に取り組む一生懸命になって頑張る、これは大事な事ですが、頑張ってもどうにもならない事は世の中には沢山ある。
だから、頑張ってもどうにもならない時は「なんとかなるさ」「どうにかなるさ」という考え方を持つこと。
性格的にも真面目過ぎるのはなく、少しいい加減な部分も持ち合わせていないとならない。
すべてはバランスです、真面目な部分もないとダメだし、いい加減な部分もなくてはならない。
そして何より自分を追い込んでしまうのが「不安症」です!
この不安になる人は負のスパイラルに陥ってしまう可能性があります。
不安というものは泥沼に似ています、考えれば考える程泥沼に陥ってしまう。
不安というのは限界がないのです、不安が不安をあおってしまう。
こんな時の考え方は「なるようにしかならない!」です。
不安になった時は考えても仕方ないので、なるようにしかならないと考えて不安にならない事です。
なるようにしかならない、なるようにしかならない、なるようにしかならない、この言葉を心の中に落としてください。
頑張ってもなるようにしかならないのです。
結果を求めたとしてもなるようにしかならないのです。
この「なるようにしかならない」諦めではありません。
頑張って頑張ってその先はなるようにしかならないと考えるだけです。
それから、寝れない時に薬に頼ってはいけません。
薬を飲むと正常な判断考え方が出来なくなります。
寝れなかったら寝ないでYouTubeでも観てればそのうちに寝てうでしょう。
私はこれまで何人も鬱から救ってきました。
なるようにしかならない、この言葉は忘れないようにしてくださいね。
塾長 石場
<こうでなければならないは危険>
勝たなければならない、出来なければならない、このこうでなければならないという言葉が危険なんです。
こうでなければならないという期待が自分を追い込んでダメにしてしまうのです。
こうなりたいと頑張るのはいい、こうなりたいと頑張ったあとは結果を気にすることなく運に任せる。
所詮なるようにしかならないのです。大きな期待をもってこうでなければならないと思っても結果はなるようにしかならないのです。
だから、頑張るストーリーを大事にして欲しい。
こうでなければならないと決めつけるのは良くないです。
「こうでなければならない」ではなく「こうなりたい」
試合で言えば、「勝たなければならない」ではなく「自分の力を発揮できるようになりたい」の方が良い。
塾長 石場
<親という字>
親という字は、木の上に立って見る!と書く。
温かく子供のことを見守ることが親としての心掛けです。
先回りして手助けしたり、考える時間も与えないままに親が答えを出してしまうのは、木の上に立ってみると言うことにならない。
木の上に立って見る事は親としてヤキモキするしイライラするし見てられない。
子供自身が考えて行動する、失敗は成功の元、失敗しながら成長するものです。
親という字の如く、見て見ぬ振りをしながら木の上に立って見守る!
危ない時は危なくならないように導き、人としての道をそれてしまいそうな時は上手く修正に導くそれが親の役目ですね!
親の考えや理想の元に進めるのはその子の人生ではない!
子供には色んな選択肢を与えた上で、子供自身が道を決めて歩む、たとえそれが親の考える道と異なったとしても、子供の意見考えを尊重し見守る事こそ大事な親の役目です。
木の上に立って見守ると言うのは簡単なようで難しいですが、常に心の中に木の上に立って見守ると言う言葉を大切にして生きて欲しい!
塾長 石場
<一念岩をも通す>
物質的な岩はそう簡単には貫く砕く事は出来ない。
しかし、人の念というものは簡単には貫けない岩をも貫いてしまう。
これができる人が強いのです。
見た目の強さというのは物質的に岩と同じようなもので、例えば岩に何千発も打ち込んでもその岩を打ち砕く事は出来ないが、念というシャトルは念が最大限に強ければ、念のシャトルは突き抜けることができるのです。
この目に見えない念の力をつける事は勝つための大きな要素武器なのです。
念の強さ、オーラの大きさは勝負に大きく作用します。
念とは想いの大きさです。
その想いを毎日毎日鍛える事でもっと大きな想いになる。
悔しい想いを積み重ねる事で大きな想いになれる。
毎日毎日鍛錬し続ける事が想いを育てる事になる。
大きな想いは人を動かす力になるし、これから生きていく上で大きな財産を持つ事になる。
塾長 石場
<三度の飯より好き>
この気持ちを思い出して欲しい!忘れないで欲しい!
バドミントンを始めた頃は三度の飯よりバドミントンが好きと言う感じでラケットを握りシャトルを握りコートに立っていたはずなのに、それがいつのまにか上手くいかないことに悩み、辛い練習に三度の飯より好きと言う感じにならない人がいる。
三度の飯より好きと言う人は技術を身に着けるのが楽しい、上手くいかない事も楽しい、悩むことも楽しい、自主練習の辛さも楽しい、辛い練習も楽しい、勝っても楽しい、負けても悔しくなるのが楽しい全てが楽しくて好きなんです。
だから、ちょっとしたことで投げ出すような人は三度の飯より好きという人ではないのです。
そんなひとはそもそも上手くも強くもならないのです。
センスがある子も運動能力がある子も順調に上手くいく事なんてない。みんな苦しみ悩み挫折をしながら成長していく。
是非、聞いて欲しい、「お前はサンドの飯よりバドミントンが好きなのか?」と!
塾長 石場
<行きづまりの多い人>
行きづまりが多いのは自分が裸になれないから、自分の殻に閉じこもっているから行き詰まってしまうのです。
裸になれるということは馬鹿になれるということ。
全てをさらけ出せたら失敗も間違いも行き詰まることは無く前に進む事が出来るのです。
殻に閉じこもる人は相談することもなく、人と関わることもないからどんどん負のスパイラルに入っていく!
人は色んな顔を持つことが大事なんです。
塾長 石場
<悲しい事が多い人>
悲しいことが多い人は自分の事しか見えていないからなんです。
まわりを見ようとしないんです、自分が悲劇のヒロインになりたいんです。
まわりを見れたら、自分より苦難に苦しんでいる人は世の中には沢山います。
それに比べたら自分の悲しい事なんて大したことではないことに気づくはずです。
世の中には難病で苦しんでいる人や肉親の死で悲しんでいる人、コロナで食べていけない人、今の自分より苦しい人悲しい人は本当に沢山います。
戦争で生き死にを迫られている人、DVで死にたいと思っている人、そんな人からくべたらおそらく今の自分の抱えていることなんて大したことないんです。
それに気がついたなら悲しんでいられないはずです。
他に目を向けるともっと頑張らなくてはと思えるはずです。
物の見方次第でどうにでもなるんです。
塾長 石場
<ポジティブに怖がれ>
怖がることは決して悪くはない。 怖がることで準備を入念にしたり、危ない橋は渡らないようにするだろうし、最新の注意を払う。 人は慣れてくるといい加減になったりして失敗をして取り返しがつかない事もある。 心配性で怖がることは良くないが、ポジティブに怖がることはいい事だ。言い換えれば常に初心を忘れないと言いう事だ。 マイナスで怖がる時もあるだろうが、ポジティブに自分はポジティブに怖がってるのだと自分に言い聞かせる事で怖がることを乗り越える事ができる。
塾長 石場
<知識や動作の定着>
知識や動作は他人に自分から教える事で自分に身に付く。
教える為には理解してもらえるように自分自身に問いかけ、分かりやすく説明しようとする。
そこの事が自分に知識も動作も定着するのです。
自分が教えられた技術を後輩に伝える事で改めて理解する事が出来る。
だから、先輩後輩関係で教え教え合う事は大切なんです。
是非、クラブや部活に取り入れて欲しいと思っています。
塾長 石場
<ヘレンケラー>
ヘレンラーの劇を観てきましたが感動して涙が出ました。
皆さん良く知っている内容だと思いますが、改めて指導や教育、人の殻を破る時には痛みや苦しみ辛さを乗り越えさせることが大切だという事を思いました。
親は優しさで不憫だから可哀そうと甘やかしてしまう、親の愛情が優しさが甘やかしてしまうのですが、それは愛情でも優しさでもない。
親の弱さがそうさせてしまうのです。
辛そうにしているのを見るのは親としても辛いだから甘やかしてしまうのです。
人としてダメな事は障害者であっても健常者であってもバドミントンが強くてもダメです、障害者は可哀そうだから好き放題してもいい事にはならない、それが甘やかしになるのです。
指導も同じです、恥ずかしいとか殻を破れない子には徹底的に追い込んで自分自身で乗り越えさせるしかないのです。
その時には本人も苦しかったり辛かったり逃げ出しそうになるのをやりきらせる事で乗り越える事が出来る。
乗り越えたら一つ成長する。
追い込むのはこちらも辛い、でも心を鬼にしてやらなければ乗り越えさせられない。
それは本当の愛情だと考えています。
強くなければ出来ないんです。辛そうにしているのを見るのはこちらも辛い、でもそれを乗り越えなければいつまでたってもダメ人間になってしまうのです。
甘やかしは罪です、子供は弱い大人の被害者になってしまうのです。
塾長 石場
<子供の今年の自殺は400人最多>
コロナや様々な要因があると思いますが、ひとえに心が弱いのだと思います。
戦時中や戦後の死ぬか生きるかの時代の人は生死をかけて必死に生きてきました。
それに比べて我々は幸せすぎる環境、弱い者を鍛えられない時代でどんどん心も体も弱くなっていると思います。
昔は身体を使ってなんぼの世界、今は頭を使ってなんぼの時代で身体を動かす事もなく身体は弱くなり、免疫力も落ちてそのためにコロナにも感染する。
昔の人だったら感染しなかったかもしれませんね。
幸せな時代、不便の無い時代何の問題もない時代だと思いますが、見えている所ばかり変わって、見えない心や精神の事は退化しているように思う。
自殺者が出ないように体を鍛え心を鍛え、この厳しい時代を乗り越えて欲しいと願っています。
せめてバドミントンで関わっている子供たちには明るく元気になって欲しいと願っています。
本当にこんな世の中で良いのでしょうか?
皆さんは是非身体を鍛えてください、身体を鍛えると心は確実に強くなります。
”健全な肉体に健全な精神が宿る”
ひ弱な肉体では心も弱くなる。
塾長 石場
<免疫力>
褒められた方が伸びるという人がいますが、私は全てバランスで成り立っていると考えています。
怒られる事、褒められる事、叱られる事、怒鳴られる事、ほっとかれる経験、みてもらう経験、外される経験、ピックアップしてもらう経験など全てバランスで上手くいく。
褒められてだけの子は伸びるかもしれないが、叱られたり怒鳴られる環境に変わった時に耐えられなくて落ちてしまう事がある。
褒められても伸びて、叱られても伸びて、怒鳴られても伸びてどんな状況でも伸びる子を育てる事が大切だと考えています。
厳しい環境で育った子は他の人が「ここは大変だよ」というところでも「大したことない」となるが優しい環境で育った子はちょっと怒鳴られただけで「怖い」「ビビる」となってしまう。
世の中は自分に優しい環境ばかりではない。
何故、日体大が企業からの求人が多いかというと、どんな事にも耐えられるからです。
頭は悪いかもしれないが免疫力があるのです。
世の中の理不尽も何でも耐えて頑張れるからです。
怒られ、怒鳴られる環境で時々褒められるとそれはかなり嬉しい。
ちょっと褒めた事でも本人にとっては大きな喜びとなる。
いつも褒められていたら、少々の事では嬉しくない。
これもバランスです。
叱られ怒鳴られる事が嬉しい子はいません。
しかし、厳しい環境で育った子は他で褒められた時に感謝の気持ちも強くなるし、人間関係も良くなる。
誰だって褒められた方がいいに決まっているが、世の中そんなに甘くない。
だから、ニートや引きこもりが出てくるのだ。
私の経験で長崎県瓊浦高校はかなり厳しかった、日体大に進学する時、「日体はかなり厳しいぞ~」と聞いて入学した。
確かに厳しかったが瓊浦高校の方がもっと厳しかったし理不尽だった。だから、まあこれなら耐えられるなと思った。
しかし、仲間の中には逃げ出す子が毎年数人必ずいた。
これが、育ってきた環境で違うのです。
塾長 石場
<強くなれる人は>
強くなれる人はどんなレベルになっても上手くなりたい、強くなりたいと考えています。
素晴らしい技術が出来たとしても更にもっと上の技術を身に着けたいと思う。
だから、どん欲に練習に取り組む、それをどんどん試してみる。
しかし、強くなれない人は負けるのが怖いから練習したことも試す事が出来ない。
上手く打てなくなることを怖がる。
こういう人はいつまでたっても上手くもなれないし、強くはなれない。
負ける事より試せない事を悔やむ、負けてもいいから試して試して試していくとそのうちに凄い事が出来るようになっている事に気が付くと思う。
上手くなりたいと考えているからYouTubeの動画をみたりする。
どこかに種がないか、色んな所を覗いて観る。
そんな姿勢が上手くなる姿勢です。
塾長 石場
<甘いショットを打った時も諦めるな>
ネット前やレシーブで甘い球を打ってしまった時に「どうせ決められるダメだ」と相手が打つ前に諦めている人が多いが、諦めるから簡単に決められてしまうのです。
諦めないで「拾うぞ~」と準備していると、相手がネットにかけたりアウトにしてくれたりする事が多い。
気持ちは以心伝心で伝わるものです。
諦めると相手の気持ちは楽になり簡単に決める事が出来るが、
逆だと相手も慎重になったり、もっと強く打たなければとミスにつながる事がある。
目に見えない事ですが、確実にこれは言える事なんです。
だから、諦めない気持ちが自分を救ってくれるのです。
大切な教えは”シャトルが床に着くまでは絶対に諦めるな”です。
勝負は何が起こるか分からないものです。
最後まで諦めない精神が奇跡を起こす事があります。
塾長 石場
<根拠のない自信>
大抵の人は成功体験を積んで自信をつけていくのですが、そもそも強い人は初めから成功体験もない時にやってもいない時に何故か出来る気がすると根拠のない自信を持っています。
仮に失敗してたとしても、あれっ次は出来るという感じで何とも思っていない。
しかし、上手くいったときは、ほらねっと更にその根拠のない自信は強くなる。
自信のない人は成功体験からといいますが、私は初めから根拠のない自信を持つ事、それは言わば公言してしまう事、「私は出来る気がする」と言葉にして言う事で自分を追い込むことが出来るから、出来るように頑張る。
しかし、自信のない人は初めから失敗する事を考えているから思い切った行動が出来ない、言えない。
変な責任感があると、「そんなやってもいない事を言えない」というかもしれないが、いい加減でいいのです。
嘘をついているわけではないし、騙している訳でもない。
だから、出来る気がするはいいのです。
「できた」は嘘ですが、「出来る気がする」は気持ちを表現しているだけなのでいいのです。
小さなころから根拠のない自信を持たせるようにしてください。
そうすれば結果を残せる人になります。
塾長 石場
<脳を騙せ>
脳はパソコンのように上書きする事で変わる事ができる。
パソコンは”上書き”をクリックするだけで簡単にできるが、
脳はそう簡単には出来ない。
しかし、今弱気の心も考え方もどこかで上書きされたのだ。
知らずのうちに弱気になる考え方が定着する事で弱気になってしまったのだから、次にどこかで上書きする、自分には無理と思った時にすぐに「自分は出来る」「自分でも必ず出来る」と自分自身に言い聞かせる。
毎日毎日、しかしふと弱気の気持ちになってしまう。
まだまだ、脳の上書きが出来ていないのだ。
弱気になりそうな時に、自分は出来ると言葉が出てこないとダメなんです。
そうなるまで自分の脳に声に出していう事で上書きする。
誰でも出来るんです。この心が強気の考え方に変わればだれでも出来るんです。
根拠のない自信を持つ事が出来るようになるのです。
この根拠のない自信については次回お話します。
塾長 石場
<恥ずかしがりや>
恥ずかしがりやさんは自分の事しか頭にないから、馬鹿にされたらどうしようとか、笑われたらどうしようとか、自分の事しか考えていない。
自分からの目線でしか考えられていない。
自分が恥ずかしいと思っている事は他人からすると何も思っていなかったり、どうでもよかったりする。
中には妬みで笑ったり馬鹿にする人がいるが、そんな人の思惑にははまってはダメなんです。
何か行動した時に失敗したとしても素晴らしいね、凄いねと言ってくれる人を友達にする事です。
馬鹿にする人や笑う人は友達にはふさわしくない。
そういう意味でも友達を見極める事もできる。
人の反応なんて気にするから恥ずかしがりやになってしまうのです。人の反応は気にせず一度きりの人生だから自分が思うように行動したらいいんです。
この恥ずかしがりやを克服する事が強くなるスタートです。
恥ずかしがりやさんには、こんな言葉をかけて欲しい。
「やってみたら分かる他人は何とも思ってもいないよ」「笑う人や馬鹿にする人は友達から外しなさい」「自分が思っているほどそんなに人は見てないよ」「恥ずかしくて何も出来ない人より、行動できる勇敢な人になりたいよね」とか
他にも色んな言葉があると思うが、この恥ずかしがりやは誰でも通る道です。
早くこの恥ずかしがりやから卒業して欲しいと願っています。
塾長 石場
<楽しむ原点>
楽しむって本当に難しいですね。
上手になってくると勝ちたい気持ちが先になってしまのはどうしようもないこと。
楽しむって普段が大事なんです、普段からちょっとしたことを楽しむ、練習の中で走る事があった時にその中に楽しみを見つける。トレーニングの時に楽しみを見つける。
例えば自分の中だけでライバルを設定して競争するとか、自分との勝負を楽しむとか!
普段の中で楽しむことを出来るようになればどんな時にでもその中で楽しみを見つけようとする。
試合の時は相手が強かったら、1回は絶対にボディーにぶつけてやる~とか、声では勝ってやる~とか、相手をイライラさせる~とか、ちょっとした楽しみ自分の中だけでの楽しみ!
ランニングと時は辛い事を辛いが楽しいと自分の心を騙す事。
苦しい事が楽しいと心を騙す。
そうすれば苦しい時に気持ちが苦しくなくなる。
そんな事も訓練です。
みんな同じ人間です気持ちが苦しくなったり楽しめなくなったりします。
こんな考え方を実践してみて下さい。
だんだんそうなるはずです。
<好きで始めたのに>
好きで始めたのにいつの間にか楽しくなくなってくる。
それは勝ち負けにこだわりすぎるからだ。
始めた頃は勝ち負けなんか何も考えていない、打てることが楽しい!
それがだんだん楽しくなくなる。
原点を忘れないで欲しい、勝っても楽しい、負けても楽しい、バドミントンが出来ている事がそもそも楽しい!
色んな楽しさがあるが、いつまでも楽しくあって欲しい。
その楽しさを追求するために鍛えたり、走ったり、一途に打ち込む事が楽しい。
そんな風に指導もプレーしている人も思って欲しい。
負けて怒られると勝たねばならなくなる。
そこに問題があるのだ、勝つ時もあれば負ける時もある。
試合は試し合いだからこれまで励んできたことを試す場と思えば負けはまだまだというだけ。
だから更に頑張って次こそ試して結果が出たらいいのです。
生涯スポーツとして考えたら負けても負けても楽しいのなら一生続けていけば必ず納得いく時が訪れる。
勝ち負けにこだわり過ぎず頑張りましょう。
この楽しむことが難しいのだが、それは次のお話で!
<失敗恐れる人>
失敗が怖い人の中には、失敗する事で他人からの評価が気になるからダメ人間と思われる事が怖いことが多い。
こんな人にはこんな言葉をかけて欲しい!
人生一回きりだから他人の評価なんか気にしないで自分の思うようにやっていいんだよ!とか
他人はたいして何も思ってない事が多いよ!とか
失敗は成功の元だから失敗しないで成功には近づかないよ!とか
失敗する事で成功に一歩近づいているんだから失敗を経験出来て良かったね!とか
失敗とか成功とか考えないでそのことに楽しんでやっていいんだよ!とか
その他にも色んな言葉がある!
その人にあった言葉をなげかけてあげたらいいですね!
人の性格とはその人の考え方が基礎となっています。
考え方を変える事で性格も大きく変われる事がある!
是非試してみて下さい。
<打ち方が分かっても出来ても>
打ち方が分かっても上手く打てるように出来ても勝てるようになれるかどうかは比例しない!
ある程度までは技術的な事が出来れば勝つ事はできますが、その上に上がっていく時には考え方が必要になってきます。
上手く打てるようになってもメンタルが弱ければ試合の時に上手く打てなくなります。
バドミントンで一番大切な事はミスをしない事なんです。
そのために一番必要な事は考え方とメンタル強化です。
メンタル強化には考え方に基本が無ければ鍛えられないのです。
世の中に出ている専門書には技術的な事は沢山出ていますが、
一番大切な考え方等は説かれていません。
何故なら考え方は人によって異なるからです。
その考え方によってレベルが異なってきます。
zoomの中で話しているお話は考え方が中心になっています。
是非、その考え方を理解して頭に叩き込んでメンタルをコントロールできるようになることを願っています。
<負けて悔しい>
負けて悔しいは自分が勝つ事しか考えていない。
自分が勝つという事は負ける人がいるという事。
勝てば嬉しいがその時負けて悲しんでいる人もいる。
負けて学べる事は沢山あって負けて学べる事がある事を知れば試合をしてくれた相手に感謝する事も出来る。
勝って喜び負けて悲しむ50対50だ!
生涯勝ち続ける事もなければ、生涯負け続ける事もなり。
勝ったり負けたりしながら成長する。
だから、勝った時に一喜一憂することなく謙虚になり、負けても人生終わりみたいな感じになるのではなく、その試合を反省して相手に感謝して次に進んでいけばいいのです。
それば学びです。
相手にとっても学びとなる相手になれる事が素晴らしいですね。
<今の常識は数年後の非常識>
今みんなが当たり前に思っている常識も数年後は非常識になる事がおおい。
バドミントンの技術でも数年後あの打ち方は間違っていた、という事も起こりえる。
常識にとらわれずに疑問を持ってもっと良い考え方や行い、技術があるはずだと思っている事が大切です。
バドミントンで言えば、ラケットが重かった時代の振り方と今とは全く違う。
ガットも昔は手張り時代ではありえないテンションのショットが生まれる。
人生常に勉強です、いくつになっても学ぶ心を大切にして何事にも新鮮に取り組んでいく姿勢の中に己の学びがあるのです。
塾長 石場
<今日のあり方で明日が異なる>
今日どんな行動を起こすかで明日が異なるのだ、その先どんな行動を繰り返すかで1か月先の未来が異なる。
行動した分しか未来は変わらない。
願っていても祈っていても行動を起こさなければ未来は変わらないのだ。
だから、今日のあり方で明日の未来が開ける、間違った行動をしたとしても、その間違った行動が正しい未来に近づいている事になる。
だから、間違っても正しくても行動を起こさなければ未来は変わらないのだ。
考える事も大切だがいくら考えていても未来は何も変えられない。
まずは行動あるべし!
その勇気が未来を変える。
塾長 石場
<弱気は最大の敵>
プレイヤーとして一番の敵は弱気です。
弱い気になると不安になってしまう。
弱気にならないようにしようと考えても強気にはなれない。
勝つぞと強気になれたら簡単な話だがそれもなかなか出来ない。
そういう時は強くにはなれなくても耐える方向で頑張るしかない。
耐える、こらえる、弱気になると逃げ出したくなる気持ちになりと思うが、そこを耐える為に負けたくないとまず考える。
とにかく相手のコートに返球する事だけを考える。
負けてもいいからついていく事を考える。
負けてもいいから最後までやりきると考える。
こんな状況を何度も繰り返しているとだんだん慣れてくる。
慣れるまで考え続ける事です。
塾長 石場
<昨日より上手くなりたい>
上達とは昨日の自分より少しだけ上手くなっている変わっている、変化している事です。
昨日と同じは進化していないことになる。
昨日より上手くいかないという事は変えようとしているから上手くいかない。
それが昨日より少しだけ進化しているという事です。
上手くなる過程では必ず上手く出来ないで前よりダメになる。
しかし諦めないで頑張れば大きく前より上手くなっている。
例えば、スイングを変えようとすると空振りしたり、まっすぐ飛ばなかったりする。その時に気持ちが凹んですぐに元のスイングに戻してしまう。
飛ばないから変えてしまうのだ、癖を治すとか新しいスイングを身に着ける時には必ずこうしたことがおこる。
凹まないで勇気をもって取り組む事が大切です。
昨日より上手くなりたいと思う気持ちが向上させる。
昨日と同じで良いと思えば変えようとしない。
強くなる為にはいつになっても変えようとする勇気と行動が必要になるのです。
塾長 石場
<ルーティーン>
メンタルを自由自在に操る為にはルーティーンの活用が必要です。
心は思いもよらぬ方向に進みがちです。
そんな時に行動ルーティーンが決まっていればもとに戻す事が出来る。
<自分がミスをした時>
両足で3回軽くチョンチョンチョンとジャンプする。
ジャンプをする事で力を抜くことが出来ます。
<足が動かない時>
もも上げを10回する。
胸つけジャンプを5回する。
足が動かないのは緊張からです、緊張をほぐすには強い力が必要なのでもも上げやジャンプをすると良いです。
<ショットでミスをした時は>
両腕をブランブランと3回する。
緊張で身体に腕に特にグリップに力が入っている事でミスするのでブランブランする事で力を抜く事が出来ます。
<弱気になった時>
大きな声で「一本~」と叫ぶ。
叫べなければ弱気な心に支配されてしまいます。
そう出来るように普段から大きな声を出す訓練をする事が大切です。
<試合でリードされたら>
「さあ、ここからいくぞ~」と自分に声をかける。心の中ではなく実際に自分に声を出して自分に言い聞かせる事です。
<相手を凹ます時には>
相手のミスで点が取れた時は飛び跳ねて喜ぶ、ガッツポーズを大げさにする。そうする事で相手の気持ちが落ちる事があります。
<他人を羨んだり憎むのではく!>
他人の事を羨んだり憎む人の考え方は「自分のもの、他人のもの」を分けて考えているからです。
自分の幸せより他人の幸せが大きく見えるから自分の心が他人に心が傷つけられると感じる。
自分の欲だけを優先し自分のものを大切に守り増やそうとする,所詮小欲なり。
他人と自分を比較する事は「自分だけが幸せになりたい」と思うから心が苦しくなる。
他人のものを自分のものと思って大切に扱えば、他人の幸せまでも自分の幸せと感じる事が出来る。
塾長 石場
<心配が一番の大敵>
心配からは何も生まれないどころかマイナスになってしまう。
心配は無限の泥沼のようなものだ!
無限に広がる心配はしないようにしたい。
心配するのではなくしっかり準備をする事をお勧めします。
ある程度準備が出来たらあとは「えっい」と行動を起こせばいい。
それで間違ったら反省してやり直せばいい。
失敗しないように心配していても前には進めない。
心配は無限の敵だから!
子育てする時にも心配する子供にならないように気を付けたい。
知らないうちに心配性になっている事があるから注意しよう。
これはバドミントンに大きく影響しているからです。
心配性の人は絶対に勝つ事は出来ない。
<成功の道>
やりたいと思った事は行動に移す事です。
上手くいくもいかないも行動を起こさなければ何も変わらない!
行動を起こせば失敗をするだろうが、失敗をしながら成功に近づいていく。
一度や二度失敗したくらいで投げだしたら成功出来る事も成功できなくなる。
<勝った時ははしゃぐな!負けても泣きじゃくるな!>
私は子供たちに「勝った時ははしゃぐな!負けても泣きじゃくるな!」と指導しています。
勝つとはしゃぎたくなるのは良く分かる!
しかし、自分が勝ったという事は相手は負けている。
相手の気持ちを察すれば分かるだろう。
場所を変えて大はしゃぎすればいい!
負けた時に泣きたい気持ちは分かるがそこはぐっとこらえる我慢が必要だ!相手も勝って良い気持ちはしない!
自分自身も勝ち続けることは負け続ける事も絶対にない、だからこの精神を持っておくことは大切です。
相手がバカみたいにはしゃぐ相手には「必ず次は勝ってやる」と決意を新たにすると良い!
正々堂々と戦った結果だから真摯に受け止めて次に向かえばいいのです。
一喜一憂せずその結果を反省して次に向かえばいい!
バドミントンを通じて精神を鍛える事も大切な事です。
芸は身を助く
好きな事に専念しやりぬいた先には必ず自分を助けてくれることになる。
そこに行きつくまでには「無理かもしれない」「俺には向いてない」「やっぱり無理だ」という局面が何度も訪れる、食べれない時期もあるだろうが、そこを乗り越えた何年の何十年も先に自分自身を助けてくれるアイテムになってくれる。
簡単に身に付くものは芸は身を助く事にはならない。
何度も挫折をして何年も何十年も先に訪れるのだ。
情熱があれば情熱の灯が消えなければ必ず自分を助けてくれるから頑張って欲しい。
<疲れる位のアップが緊張をほぐす>
試合の時に緊張する人はアップの時に疲れるくらい汗をかいて、ハアハア息が切れる位走って2試合位の時間を全力で頑張れば緊張はしなくなる。
みんなアップが足りないのです。
1試合は普通20分間~30分間、だから40分~1時間くらい試合と同じくらいの走りをすれば疲れて緊張はしなくなる。
殆どの人のアップはステップをしたりジョギング適度に走ったり軽くフットワークしたり素振りしたりで終わる。
試合の時はそんなフットワークや素振りではないはずだ。
試合と同じようなフットワークや素振りを40分間やったら汗だくとなるはず。
みんな1試合目が鍵になる、それを乗り越えれば次は上手くいく!
だから、1試合目のアップは本当に大事です。
汗が出ない、息が切れないアップはアップではない。
アップは身体と心をアップさせるためにある。
アップの時間で気持ちを盛り上げやる気満々にしていく。
それが出来なければアップは失敗!
是非、やってみてください。
塾長 石場
<ドラマに出演している子役>
子役となってテレビに出ている子は出るまでにレッスンやオーディションを受けていますが、今世の中で言われているようなパワハラや厳しい言葉の無い環境なのでしょうか?
子供と言えど甘い環境でなくレッスンの時は怒鳴られ怒られ、泣きながらもそれに耐えて乗り越えられた子だけがテレビに出れているのです。
そんな環境で育ったから大人の世界で甘える事なく立派に大人と対等に競える子に育っているんです、頑張れているんです。
逆に言えばパワハラだーと言える環境で育つ子は子役のような子にはなれない、役に立たないんです!
パワハラや体罰だと言えば弱いものを守るように思えますが、実は弱いものを作っている育てているんです。
だから、ニートや引きこもりが起こっているのです。
全国ベスト4に入る高校で罵声が無い優しいクラブは存在しないのです。
強い学校に進学しようと考えているのなら、厳しい高校に入った時にやり遂げられるようにしておかねばなりません。そうでないと高校に入ってからその子は大きな挫折をしてドロップアウトしてしまいます。
しかし、今は厳しく出来ない世の中だから子供たちは可哀そうですね。
<期待に応える>
人の心の中には親の期待に応える仲間の期待に応える等の気持ちは必ずある。
それを上手く刺激して意識させて上げられたら弱気になりそうな時にその気持ちを思い出せれば弱気にならなくて済む。
試合の時にコートに立って一人で戦っていると思うから、ダメになってしまう。
しかし、仲間も監督もコーチも一緒に戦ってくれているのだと思えばその期待に応えないとと思えたらいいのです。
勝てと期待するのではなく、最後まで頑張ってくれると期待する事だ。勝てと期待すると負けそうになるとダメになる、でも最後までとか、諦めないでとかに期待する事で最後までと言われているからその期待には応えたいとなる。
いつも一緒に戦っているよ、あなたは最後まで戦ってくれると信じているよ!と声をかけて欲しい。
試合の時は一番試合を左右するのがメンタルなんです。
そのメンタルを支えてあげる頑張りましょう。
塾長 石場
<最悪な出来事も実は最高の出来事>
例えば、自分が望んでいる学校を受験したけれど合格する事が出来ず人生最悪だ~となり落胆してやる気をなくす。
しかし、進んだ学校で素晴らしい出会いがあったとしたら、あの時同格していたらこの素晴らしい出会いは無かったはずだ。
そういう事は人生の中では沢山ある、神様は必ず良い方向に向かわせてくれるものだ。
だから、今の状況を真摯に受け入れて頑張り続ける事で未来は開ける。
いつまでも落胆して落ち込んでいたら、素晴らしい出会いも分からないまま通り過ぎていく。
今起きている事が最悪と思っているのは自分だけで、本当は最悪ではなく最高の出来事になる為の出来事なのだという事を思って頑張るといい。
塾長 石場
時間は待ってはくれない
あっという間に一月が終わりました。
何が出来たか?と考えても大したことは何もできていない!
こんな感じで1年があっという間に終わってしまうのです。
だから、一日一日を一生懸命に今日出来る事を後回しにしないで終わらせて次に向かう。
大きな事は出来なくても、毎日毎日前に進んで充実した日を送るしかないのです。
今日も一日頑張って前に進んでいきましょう。
塾長 石場
速い動きを身に着ける為には
自分の頭の中に速いリズムを刻みこむ必要があります。
遅い頭の中のリズムでしか動けません。
タンタンタン ではなく タタタというリズムを越えに出しながら
動く事です。
特にドロップを取りに行く時に効果的です。
メンタルが弱いとは苦難な局面の時に真っ白になったり、
「どうしよう」と弱気になってしまう。
言い換えれば、その局面に立ち向かえないからだ!
すなわち臆病者と同じです。
その局面から逃げればどうしようとなってしまう。
選手に「お前は臆病者だから心が弱くなるんだ!」と言葉を投げかけられたら、
メンタルの弱い選手もなにくそ~と奮起するはずです。
「お前はメンタルが弱いな~」ではそうなんです~となるだけ。
しかし、臆病者と言われたらそんなことないですって言いたいですよね。
立ち向かう精神が必要でその精神を育てる事が大切なのです。
頑張れではその局面は変えられないのです。
本人が立ち向かうぞ~を思わなけられば出来ない事なんです。
先日、新春祈願で毎年行っている隆雄さんならぬ高尾山に必勝祈願に歩いて登ってきました。
毎年思う事は歩き始めるとだんだん辛くなる苦しくなる、そんな時に上を見るとあ~まだまだだと落胆して気持ちが落ちる。
遠くの大きな夢や目標を掲げるのは良い事だが登山と同じように遠すぎると「あ~」と嘆きたくなる。
だから、目標は近くの目標を掲げて、「あの角まで頑張るぞ」とそこまで必死に一生懸命に頑張る事で「あ~」落胆する事はなくなる。
坂を上り続けると足腰が辛くなる乳酸が溜まってくる。そんな時の思うのが、停まってしまったらいつまで経ってもたどり着かないという事だ。
ゆっくりでもいい、少しでもいい止まらないで歩みを止めないで歩き続ける事だ。
目標に向かって頑張っていると必ず辛い時が訪れる、そんな時歩みを止めてしまったら己に負けてしまう事になる。
登山は緩やかな坂もあれば、急な坂もある、平坦な所もあるし、下り坂もある。
歩きやすい道もあれば、砂利道や石ころの道もぬかるんだ道も色んな道がある。
行く手を阻む草木や倒木もそうだ!
まさしくバドミントンも人生も同じだ。
良い事ばかりではない。
目標に向かうとは登山と同じで小さな目標は小さな山で、大きな目標は高い山だ。
だから、大きな夢や目標は苦しさや大変さは小さな山より何倍も大変なのは当たり前だ。
苦しさや辛さを何度も乗り越えたところに目標達成があるのだ。
人生もバドも登山も良い事より苦しい事の方が多いがそれを乗り越えた世界は乗り越えた人しかわからない
新境地があるし清々しい気持ちを経験できる。
バドミントンで言えば苦しい事を何もしないで勝ちたちと思ってもそれは絶対に叶わないという事だ。
子供達にはそんな事を分かって欲しいと選手コースは走って、初級者はチームを組んで歩いて登山をさせている。
登山は分かりやすい、人生は分かりずらい!
自分の人生は登山と同じと思っていれば頑張れるのではないだろうか?
そんな新春祈願でした。
諺に「苦労は買ってでもしろ!」とある。
子供のうちに挫折を味わってないと大人になってからの挫折は立ち直れず引きこもりになる。
バドミントンで負けることも競い合うことも強化から落ちることも苦しい練習も怒られることも全て貴重な経験なんです。
負けたり強化から落ちた事に愚痴を言って文句を言って人のせいにするのは簡単なことですが、それでは子供は成長する機会を逃してしまう。
苦難に立ち向かい乗り越えてこそ勉強になるのです。
苦難から逃げて立ち向かわないといつも苦難から逃げる人生になる。
我が子の人生が豊かになる為には親は子供が苦しんでいても見て見ぬ振りして、頑張れ頑張れと背中を押すしかないのです。
逆に我が子が可哀想だから負けることや辛いことを経験させたくないと保護してしまうと、親の保護にあるうちは良いでしょうが、大人になった時に独り立ち出来ず挫折して引きこもりになる可能性がある。
今、引きこもりが多いのはそんな背景が有ると思ってます。
苦しい経験を乗り越えた者は強くなり他人に優しくなります。
乗り越えられなかった者は弱く他人を傷つける人になります。
今、バドミントンをしている事はそんな人間力を身につける為に努力し頑張っている事なんです。
その目的や意味を見失ってしまうと我が子の人生が豊かなものにならなくなります。
子供の頃の苦労なんて大した事はありません。何度も挫折して立ち上がりを繰り返せば強い人になります。
どうぞ我が子に買ってでも苦労をさせてあげてください!
見守ってあげてください。
それが親の役目です!
あっという間に一月が終わりました。
何が出来たか?と考えても大したことは何もできていない!
こんな感じで1年があっという間に終わってしまうのです。
だから、一日一日を一生懸命に今日出来る事を後回しにしないで終わらせて次に向かう。
大きな事は出来なくても、毎日毎日前に進んで充実した日を送るしかないのです。
今日も一日頑張って前に進んでいきましょう。
苦難になった時に立ち直るコツは元気を出せるかどうかだ、
その元気はどうやって出す?答えは声だ!
暗いやつは声が出ない、出ないという事は立て直せない!
声が元気よく出せれば苦難は乗り越えられる。
だから声を出す意味があるのだ!
山口茜ちゃんは声を出さないが暗くはない!
元気がない時は声が出ないし引きこもるでしょ!
元気な時は自然に声が明るく大きくなるものだ!
だから、暗い性格でも勝ちたいなら声を出す訓練をした方がいい。
勝つという言葉ではなく、「負けない」「負けたくない」がいい。
勝つの逆は負けるです。
だから、不利になると途端に負けるのではと焦る テンパルことになる。
逆に負けたくないは不利な状況でも負けたくないは継続できる。
だから、常に負けたくない、負けない、負けないと念じていたらいい。
3.運の基礎
どんなにバドの基本や人としての基本が出来てたとしても運が無ければ強い人には勝つことはできない!
では、どうやったら運を味方につけられるのか?
その答えは、日々徳を積む事です。
徳を積むとは日々良い行いを人を助ける行いを人の役に立つ行いを出来るかどうかです。
ひとつ徳を積んだとしても、ひとつ行いが悪ければ±〇となる。
相手の徳の多さと比べて自分の方が徳の数が多ければ運が味方についてくれる。
だから、ひとつだけやっとけば良いかとやっても運には味方してはくれない!
努力だけ勝てるレベルはせいぜい県ベスト4位までだ、それ以上目指すんだったら日々徳を積む事だ!
先日強くなる為には我慢が必要とお話しました。
世の中には人に自分の思っている事を相手に言えない、頼まれた事を断れない、相手に押し切られてしまう、等そんな時に我慢してしまうという人がいます。
しかしそれは我慢しているのではなく、自分が出来ない事、言えない事をを「我慢」してると正当化しているだけ弱いから出来ないだけです。
我慢は耐える事、自分の意見を何かの理由でぐっとこらえて言わないは我慢、ただ言えないのは我慢ではない。
すなわちバドミントンで言えば悔しかったり、苦しかったり、腹立ったり、決めたいと思う心をぐっと我慢して冷静に戦う姿です。
疑う事も大切ですが、信頼する人のいう事は信じてまずやってみる事で道が開ける。
信じれない人は行動に起こさないし信じていないから身に付かない。
「信じる者こそ救われる」という諺があります。
素直な心を持っている人は好かれるしチェレンジする事でどんどん進歩する。
素直にチェレンジ出来るかどうかです。
簡単なようで難しいし見えない事だからなお難しい!
是非、子供たちに素直な子が伸びるんだってよ!で話してあげて下さい。
不便な昔を経験していない若者には分からない事だが、
便利になる事はとても良い事ですが、便利が幸せになるとは限らない。
昔は不便でしょうがなかったが何故か不便すぎて笑えたり不便だから工夫したり頭を使っていたころが幸せだったように思える。
携帯電話もない時代は想いを伝えるのに苦労したり、待ち合わせも苦労したがそれが人としての感情を豊かに育ててくれた。
今は考える事無く人に聞く事もなく何でも手に入り何でもすぐに調べられる本当に素晴らしい時代になった!
しかし、昔のように幸せを感じない。
工夫する事のなく、失敗する事も少なく、果たして幸せなのだろうか?
今の時代で不便になる事は出来ない、でも時代に頼らないで自分で考えて、自分で工夫してみたらどうだろう。時間はかかるかもしれないしかしそれが自分の財産になるのではないだろうか!
日々の生活の中で当たり前のような朝飯を食べれるのも、学校に行けるのも、色んなこと全て当たり前のようで当たり前ではない!
たから、全てのことに感謝の気持ちを持てたら幸せな日々になる!
朝飯が当たり前と思うから、まずいとかこれは嫌いだとか味が薄いとか冷たいとか不満を持ってしまう!
しかし当たり前でないと思えば感謝して食べらるだろうし、親や妻との関係は良くなる!
生きていること自体有難いと思えたら日々の感じが変わるのではないか!
子供達も我々大人も基本に立ち返って全ての事に感謝の気持ちを持ちたい!
メンタルを強くするとは一言でいえば我慢です。
我慢が出来る事こそメンタルに強いという事です。
もう少し言い方を変えると我慢=耐える力です。
今の子は我慢をする機会がない、好きな子もは何でも買えて、好きな事は何でもできる。
好きで始めても行き詰ったらすぐに辞める、親もそれを平気で認める。
昔の親は最後までやり通せと言っていた
日々の練習の中でどのように我慢をさせるかが課題です。
我慢強くなれたらスポーツでも強くなれます。
上手くなってもメンタルが我慢が、忍耐が出来なければ培った技術は何の役にも立たない。
昨日、すぐ近くの多摩警察署に報道車が多数停まっていました。
昔は学力の低い 生活レベルの低い家庭の子が事件を起こす事が多かったが、今や頭の良い学生や医者が事件を起こす時代になってしまった。
昔の普通の家庭では常識や道徳、倫理、人を思いやる教育や人に迷惑をかけない教育がなされていたから、普通の家庭の子が事件を起こす事は少なかった。
しかし、今の時代は普通の家庭の優秀な子供が事件を起こす時代になった。
頭が良くても事件を起こす人に育ってしまったら本末転倒だ!
逆に頭が悪くても人の役に立てる人に育つ方が良い!
教育のあり方を変えないと日本は終わってしまう。
私はジュニアを指導している身としてスポーツを通じて人としてのあり方を伝えていきたい。
難しい事ではない、聞こえる声で挨拶ができる、聞こえる声で返事が出来る、ありがとうございました、おねがいします、失礼します。
笑顔で出来たらなお良い!
こんな基本ができないからコミュニケーション障害といわれるのだ!
子供達を指導している監督コーチの方にお願いしたい、
人としての学びの上で強くして欲しいと願っています。
辛い事を楽しくやる訓練
辛いトレーニングやノックの時に楽しく元気に声を出してやる訓練をする事で辛い事が楽しくできる。
楽しく出来たら辛い事も辛くなくなる。
走る事もトレーニングも自主練習も辛いと思えばやりたくない。
楽しいと思えたらどんどんやる。
自分をコントロールする為には脳をだます必要があり。
辛い=楽しい
そうなれば、苦しいラリーが楽しくなる。
ラリーが楽しいのだからミスする事は無い。
辛い辛くなるから早く決めたくなる。
楽しければいつまでも出来るはずだ!
笑顔、明るい声、が鍵
そうやってやれば監督コーチもどんどん乗ってくる。
楽しくなる。
今の世の中の教育そして日本は末期を迎えた!
世の中は弱者救済の考え方捉え方が強く、パワハラ、セクハラ、体罰、何でもかんでも弱者は守らなければならないとなっている。
それなのに、若者は弱者を守るどころか、オレオレ詐欺で年寄りをターゲットにしている。今日のニュースも年寄りのバックをひったくりする。弱者を守る世の中になっているのだろうか?
我々昭和の人達はお年寄りに対して労わりなさい、困っている事があったら助けなさいという教えをされてきた。
お年寄りを騙して詐欺を働くなんて言語道断絶対にしない!
本当に世の中どうなるのか?
これからの世の中を支えていかなければならない若者が弱者救済の皮をかぶって世の中の素晴らしい制度を逆手取って悪用したり、オレオレ詐欺で弱い者を騙して不当な対価を得たりどうなってしまうのだろうか?
これら全て小さい時からの教育の問題なんです!
家庭教育も学校教育も人間教育も崩壊してしまった結果です。
その原因が弱者救済の考え方です。
昭和の教育は競争に打ち勝つ勝者になる厳しい教育でした。その厳しい教育をする事で本当の強い精神を身につけ弱いものに優しい精神を併せ持つ事ができるようになる事を知っていた!
強者でなければ弱者は守れないんです!
弱者は弱者を守ることはできないんです!
しかし今の教育はパワハラや体罰は絶対の悪として全面に追しだし厳しい競争教育は押さえ込まれ強者教育は無くなっててしまった。
弱者救済と言う言葉を出されたら誰も何も言えなくなる。
世の中全てが限度とバランスが必要なんです。
悲しい出来事も悔しい出来事も辛い出来事も恥ずかしい出来事も嬉しく出来事も色んな全ての出来事が限度を超える事なくバランスが保たれることが大切なんです。
今は弱者救済の元にバランスが崩れてしまった。
また、限度を超えてしまう人がいる事も事実でそういう人がいるからこうなってしまったのだが、早く教育のあり方が変わらないと幸せな世の中にならない!
あくまで石場の勝手な独り言なので誰かと議論したい訳でもありませんのでヘェ〜そう考える人がいるんだと言う程度で捉えて下さいね!
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石場の独り言
誰かの為に何ができるかな?
毎日、時間は刻々と流れていく!仕事、家事いつもの事をこなして時が過ぎていく!
昨日1日を振り返っても誰かの為に喜ばれるような事を自分に何ができたか?と考えてみても特に何も出来ていない事に気づく!
一か月を振り返っても、今年も11月間振り返っても特に大きな事は何も出来ていない!
1日はあっという間に過ぎ、1年があっという間に過ぎて今年も終わろうとしている!
余裕がなければできないから余裕がなくても余裕ができた感を持って人の喜ぶ事を何か出来たら良いな〜〜と思ってる。
良い事をしようと思い立ったら躊躇しないで行動を起こしてみたら自分が変われるかもしれないし、周りが明るくなるかもしれない!
みんなでみんなを気遣っていければ温かい気持ちになれると思うな〜〜!
あくまでも個人的な独り言ですからね〜〜!
石場の独り言
昨日に続き
無理じゃない〜って心配してくれるのは友達?
何か新たなチャレンジをしようとする時に決まって「無理だよ〜、無理じゃない、おかしいよ〜、変だよ〜」と心配してくれる友達がいませんか?
その人の本当の真意は、もしチャレンジして上手くいかれたら嫌なんです、自分より先に行かれるのが嫌なんです!だから、心配する姿勢を見せているけど実は反対してるんです。成功して欲しくないんです。
友達が自分のことを心配して忠告してくれるのだから、やっぱりやめとこうか!とチャレンジしなかったらまんまとやられているんですよ!
上手くいかなくても良いじゃないか、悔いを残さないためにも、後悔しない為にも、自分がやろうと決めたならやりましょう!
人が何を言おうと突き進む力が無ければ、いつになっても誰かの後をついていく人生になりますよ!
人生は自分で決められる、前に進もうとする事も、立ち止まる事も自分で決められるのですから、前に進もうと思うのなら自分を信じて、えいって進めばいい!
他人の言葉に惑わされない強い心が必要です。
がんばれ〜〜!未来は明るいぞー!
未来を明るくするもの自分しかいないぞ〜〜!
危ないことや危険なことの友達の忠告はしっかり聞かないとだめですよ〜!
本当の友達か?偽善の友達か?分かりますね!
あくまで石場の個人的な独り言、独り言、独り言ですからね〜〜!
石場の独り言
失敗した人の方が何倍も立派
人の失敗を笑う人がいますが、私は笑う人よりも何倍も失敗した人の方が立派だと思います。
人の失敗を笑う人はそもそもチャレンジしない人なんです、チャレンジできないから、チャレンジする人が疎ましいのです。
チャレンジして失敗する痛み悲しみを知らないから平気で人の失敗を笑う事が出来る。
失敗した経験のある人なら失敗を笑う事はない。
失敗を恐れてチャレンジしない人より失敗を恐れずチェレンジして失敗した人は尊敬に値します。
人に笑われることを恐れてチェレンジを躊躇することなく勇気をもってチャレンジしてください。私は応援しています。
失敗は成功の元です、沢山失敗して素晴らしく素敵な人生にしてください。
あくまで個人的な独り言としてお読みください。
石場の独り言
楽しかったはずがいつのまにか楽しくない!
バドミントンを始めたての頃は楽しくて楽しくて、技術を覚えたら楽しくて、勝てるようになったら更に楽しくなっていたのに、いつのまにか辛くなって楽しくなくなる時がくる。
そんな時は楽しかった時を思い出して欲しい、あの頃は勝ちにこだわることもなく頑張れた!勝ち負けだけに執着してしまうと辛くなり辞めたくなる!
負けてもいいんです、勝負は時の運と言われます。一生勝ち続けることもないのです。
また、まわりが親が監督コーチが良かれと知らずのうちに追い込んでしまうケースもあるから気をつけたい!
のびのびと楽しく取り組んでくれたほうが見てる方も楽しい。
上を上を目指すのは良いことだが、楽しさを忘れないで欲しいと願っている。
楽しくて頑張れている方が力も発揮できる。色んな事情があると思うが原点を忘れないで頑張れ〜〜!
あくまで石場の個人的な考え方で独り言として捉えて下さいね。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
自信と勇気は同じようだが違う!
バドミントンで新たなショットを練習した時に自信がつくまで練習出来たらそのショットを使えるかというと、そうでもない!
自信があるから使えるのか?自信がないから使えないのか?自信がなくても使えるし、自信があっても使えない!
私は自信がなくても使います、何故なら自信というのはまずきりがないからだ、技術はどこまでも追求することができるからどこまでいけば自信になるのかと言うと人によって自信の捉え方も違うから厄介であり、
自信が持てたら使えるのかと言うと、使えるかどうかは勇気があるかないかで決まる。大切なことは自信を持たせる事より勇気を持たせることの方が大事です。
元気があればなんでもできる!と猪木さんが言ってるように、勇気があればなんでも出来るし自信は後からついてくると思ってます。
弱い子に限って言い訳は自信が無かったからと逃げるが、もちろん自信もないのだろうが勇気がないだけなのだ!
指導者も親も自信なのか勇気なのか?の見極めが大事ですね!
あくまで石場の個人的な考え方であり独り言
として捉えて下さい。最後までお読みください感謝します。
石場の独り言
今自分の身に起こっていることは以前の自分の言動が原因です!
逆に言えば今の言動が数カ月後の自分の身に起こる。
今やっている事が数カ月か数年後の結果となる。
今状況が悪くても良い行いをしていたら必ず良い時が訪れる!
そう信じれたら頑張れるはずだし、悲観する事必要もない。
逆に今が良いからと何もしないで安心してダラけていたら、必ずのちに辛い事が訪れる。
コツコツ頑張ることはすぐには結果は現れないが、必ずそのコツコツは自分を大きく成長できたと思える事が起きる。
今頑張っている事は今すぐの結果にならないかもしれないが必ずいつの日か良い結果を生み出すから、落ち込まないで明るい未来を想像しながら努力や良い行いをしていくほかないのです。
あくまで個人的な考え方であり石場の独り言として捉えて下さい、最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
イジメ
イジメはいつの時代でも無くなることはないと思っています。
だから、イジメをしない子を育てないとなりません。イジメをする子は愛情が足りないんですが、スポーツや武道や色んな学びの中から、本当の強さ、優しさ、思いやり、愛を体感して愛をしって愛をもてるようになって欲しいと願っています。
学校の友達は本物の友達とはいえません。
いつから正しい競い合いが出来なくなってしまったんでしょうか?今では妬み姑息な手を使い、正々堂々とはかけ離れた子が増えているように思える。これも教育の問題なんです。
1番大切な事は本人自身が強くなる訓練をする事と本物の親友を作る努力が必要ですが、誰だってその状況になったら凹むし立ち直れないかもしれない。
そんな時は、サッサと場所を変えたり環境を変えることが大切です。そこにしがみつく必要はない。
本来、スポーツの場はそんな心を学ぶ場だと思ってます。もし、スポーツの場でイジメがあるとしたらそのクラブからはサッサと離れた方が良いです。
心を壊してまでそこにいる必要は無いんです。こころは壊れてからは元になかなか戻らない、死んでしまってからでは元も子もないのです。
だから、心が壊れる前に離れる事が大事です、イジメに対して頑張ってはダメです。
昔はガキ大将がいたからイジメをするような奴を懲らしめてくれた!だから自殺するようなおおごとにはならなかった。
今はリーダーシップをとれる子がいなくなってしまった。これは社会にとっても重要なことです。
リーダーを育てる、心を強くそだてる、愛のある子を育てる。みんなでそんな子が増えたらいいなと思っています。
あくまで個人的な考え方であり、独り言として捉えてください。最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
正しいか正しくないかは人によって異なる!
人は自分にとって都合の良いことが正しいと考えます、そして自分にとって都合の悪い事が正しくないと考えます。
それぞれの出来事には都合の良い人がいれば、逆に都合の悪い人が必ず存在する。
だから、人はいざこざが絶えないのです。
例えば、我が子の試合に入る回数が他の子より一回少ないのはおかしい(正しくない)と思う。一回多く試合が出来た方はそんなこともあるからおかしくない(正しい)と思う。
すなわち、その人にとって正しいことが全ての人にとって正しいとは限らないのです。
夫婦にしても同じで、男性の立場と女性の立場では何が正しいかは全く異なるはずである。
正しいと言うのは捉え方や見る角度、経験、生き様、育ち、家柄、色んな観点で変わってくる、常識も全て変わってくる。
だから、それぞれ全てが正しいのだから、他人を正しくないと非難するのではなく、相手の考え方を理解しようと良く聞いて、そんな考え方もあるのかとまず認める。
お互いを認めた上でその考え方が受け入れない相手であるならば、距離を保つことが大切だと思います。
クラブとかは主の考えが監督やオーナーにあるのでどちらが正しいかのジャッジは監督がすればスッキリする。
プライベートの世界では全てが正しいと言えるから難しいしトラブルが起こるのです。
この考え方を頭の中に入れておけば、「それもその人にとっては正しいんだろう」と思えたらトラブルにはならないのではないでしょうか!
あくまで石場個人的な考え方であり独り言としてとらえてくださいね!最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
一年生あたりから始めた方が良い理由!
個人的な差はありますが技術がピークに達する完成するまでには約20年間かかります。
そして体力的なピークは男子は27歳前後、女子は23歳前後です。
体力的なピークと技術的なピークが重なる事を考えると一年生あたりから始めないと技術的にピークの時にフィジカルがマッチしない!
中学生から始めると、スポーツ神経に優れている子でも、自分よりスポーツ神経では劣ってると思われる子が6年間やってきたら勝つことは難しくなる、勝てないとつまらないから諦めてしまう。
日本が世界に通用するようになったのは一年生あたりから始め、優秀な指導者から学んだからです。
世界に通用しなかった昔の日本は中学生あたりから始める、そうなると体力にはピークにはまだまだ技術的が間に合っていなかったんです。また、指導者もいなかった。
それに比べて今は全国に選手経験豊富な優秀な指導者が沢山います。だから、世界に通用するようになったんです。
あくまでも石場の個人的な考え方ですので独り言として捉えて下さい。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
思春期に反抗する理由
思春期は大人になる過程でみんな通る道だけど、何故そんな事がおこるのか?
女の子はお父さんが臭いとかなるし、男の子はお母さんにウザいとなる。
何故か?石場理論では、それは親子で間違いが起こらないように遺伝子の中に、年頃になると嫌いになるように組み込まれているのだと思っています。
何故なら思春期が過ぎればいつも間にかお父さん嫌いじゃなくなるし、お母さんウザくなくなる!
思春期の頃はまだまだ子供で腕力的にもお父さんには勝てないから、嫌いにさせておけば近寄らないから間違いは起こらない。
思春期過ぎたら彼女や彼氏も出来るし、腕力もついて拒否できるようになるから、いつのまにかお父さん臭い嫌いとならなくなる。
お父さんは我が子が可愛いし、女の子もお父さんが好きなのは当たり前、そんな遺伝子が入ってなかったら、思春期で一緒に寝るようになってたら間違いが起こりえる!
もちろん人間は理性があるけど、酔っ払ったりして理性が働かない時に、子供の方が近寄らなかったら間違いは起こらない!
もしそうだとしたら遺伝子は凄いと思いませんか?
何の根拠も無いですが、あくまで石場の勝手な憶測でしかありませんので笑ってお読み下さい。
遺伝子研究されている方がおられましたらコメント頂けると嬉しいです!
石場の独り言
教育が全て
人の性格の形成の一番の元は考え方です。
考え方がその考えにそった行動を起こし、それを継続していくことでやがて性格と言われるものになっていく!
逆に性格をたどっていくとそれを形成する考え方にたどり着く!
だから、どんな考え方をするのか、すなわち考え方、教育が全てなんです。
学校教育は違います、学校は学問を学ぶ場で誰もが同じ事を学ぶ。
教育とはそれぞれの家庭で大事にしていることやその家庭の考え方、その違いこそが人間教育の元になっている。
怖がりのお母さんは子供に慎重にと危ないことには手を出さない近づかないように教育をします。
大胆なお母さんは大丈夫やってみなさいと教育する。
この教えが性格を形成していくんです。
子供は親の考え方を基本的に学んでいきます。
私は子供達に強者の考え方を教えています。
色んな考え方を聞き学びその中から自分で選択していくのが一番良いと思っています。
どんな考え方をすると良いのかその教育で大きく変わる事になります。
あくまで石場の個人的な考え方であり独り言として捉えてください。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
人として強くなれ!
世の中どちらかというと弱者の立場から考えようとする傾向が強いと思いますが、もちろんその考えは間違いではないし、本当の弱者は守られなければならないと思いますが、それに甘えて努力もしないで弱い立場を主張する人もいます。
努力したくても出来ない境遇の人は守られなければなりません。
生きていく上で色んな考え方があると思いますが、子供達には出来れば弱者側からの考え方ではなくて、強者側からの考え方で行動努力出来た方がより良い人生になると思っています。
だから、子供達には強者側の考えを伝えています。もちろん弱者を労わる、守る、助ける精神も強者の教えなので、強者になれるように努力して豊かな人生になって欲しいと願っています。
強者になる人は強者の考え方をし、弱者になる人は弱者の考え方をしています。
考え方が元になり行動していくことで未来が変わってくる。どんな教育を受けるかで大きく変わってくると思います。
あくまで石場の個人的な考え方であり独り言として捉えてください。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
出る杭は打たれる
良い事をしようとしても、上達しようとしても嫉妬や妬み、やっかみで出ようとする杭をたたく人が必ずいる。
それは当然のことで世の常です。
でも杭は少し出たら叩かれてしますけれど、それに耐えてグングン伸びたらそのうち叩けなくなってしまう。釘は少し出たら叩きやすいが、大きくでたら叩くのは不安定で上手く叩くことは難しいですよね。
だから、こそーと知らぬ間にグンと伸びてしまう。人が気が付いた時は伸びすぎて打てない~となっていたらいい。
派手に伸びようとすると一気に叩かれますよ、謙虚にこそーと言う事を聞いてるふりをしながらグングン伸びるのです。
出る杭は打たれるから出ないようにしようでは人より前に進む事は出来ないから良い人生にならないかもしれない。
それでも良いという人は無理する事は無いが愚痴を言わないようにしないとですよ。
スポーツでいうと上手くなると上の人は危険を感じて今のうちに叩いておこうと考える人はいます。こそーとだからこそっと練習や自主練習を頑張っておく、やっていないふりをして必死に頑張る。そして一気にでるんです。
あくまで石場の個人的な考え方であり独り言としてとらえてください。最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
色んな指導者
世の中には色んな指導者がいます!
自分に酔っている指導者はただしゃべる!
勉強する指導者は分かるように説明する!
優れた指導者は自らが背中をみせて指導する!
もっとも優れた指導者は相手の心をつかみハートに火をつけやる気を起こさせることが出来る!
もっとも最低な指導者は相手の心を傷つけバドミントンを嫌いにさせてしまう!
ほとんどの指導者は教育的側面を持ちながら指導されていると思うが、その指導者の真価が問われるのは、試合の結果だけではなく、その子が卒業してからだと思っています。
その子が真剣にスポーツに取り組み心に火がついて最後までやりきれたなら、その後の人生を力強く歩んで行けたなら、その指導者は偉大な指導者と言える!
また、子供達が卒業してから顔を見せに挨拶に帰ってくる子供がいるかどうかで指導の善し悪しが分かる!卒業してから顔を見せに来るのは感謝している証!現役時代叱られ怒鳴られ厳しい指導をされたとしても、その後感謝できたら顔を見せに帰ってきます。自分の為に真剣に向き合ってくれたと感じられたら感謝するんです。
勝負は時の運という諺がある、勝つ時もあれば負ける時もある!勝ち負けも大事だが何より大事な事は人生の勝利者になれるかどうかです。
指導する子供達がみんな人生の勝利者になれるような指導する指導者が全国に沢山増えて欲しいと願っています。
子供達はバドミントンが好きで始めたのに、どんな理由であれ好きだったバドミントンが嫌いになるような指導はして欲しくないと願っています。
あくまで石場個人の勝手な考え方の独り言として捉えてください。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
腹八分目でいる事
腹八分目とは、お腹一杯食べるんじゃなくて、少し余裕を持たせておくことが健康的で良いことですよ!ということわざです。
これは、人間関係でも同じことが言えます。
仲が良いから、親子だから、恋人同士だから、親友だから、夫婦だから、といって、相手の懐に100%入り込んでしまうと、どうしても上手くいかないことが多い!どんなに深い関係であっても80%で付き合っていれば、思いやったり、気遣ったり、相手が踏み込んで欲しくない所にズカズカ踏み込む事はないだろう。
それが夫婦だからとズカズカ入り込まれたらいずれ破綻してしまいます。
お互いが常に80%を意識して距離感を持って接していれば人間関係は上手く続きます!
今の自分はどうなのか?もう一度振り返ってみると事は良いことですね、良かれと思って100%になっていませんか?愛する気持ちが大きすぎて100%になっていませんか?
人は一生をかけて人として完成させていくのですから反省して変わっていくことは恥ずかしいことでも無いし、とても立派な事ですよね!
どんなに愛していても、親子であっても、夫婦であっても80%の腹八分目でいきましょう〜〜!
あくまで石場の個人的な考え方の独り言として捉えて下さい。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
人は変わる生き物です!
人間関係を悪化させない為にそう思っている方が幸せです!
良い人だったのに突然激変して関係が悪化するする事があります。
良い人=一生良い人とは限らないのです。
だから、良い人であったとしても一定の距離を持って付き合っておかないと痛い目にある。
一定の距離とは、親しき仲にも礼儀ありのスタイルでいること。
これは、他人に限ったことではない、親戚、親友、同期、同僚、先輩後輩、色々あると思いますがこの人は絶対に変わらないと思える人!
この親しき仲にも礼儀ありでいれば、突然変わることも少ないだろうし、変わったときにもっと距離を持てばお互いダメージは少ない!
何故、人は変わるのかというと、自分に都合の良いことが正しく、自分に都合の悪いことが正しくないというのが人間だからです。
自分にとって都合が悪くなると途端に関係が悪化するものなのです。嫉妬や妬み、子供、家族色んな事でちょっとしたことでなります。
親しくて仲が良い事はとても素晴らしく良い事ですが、親しいから何でも許されると思って緊張感が無くなるとそうなる事が多いのです。
だから、親しき仲にも礼儀ありでいたら良い人がいつまでも良い人になっていてくれると思います。世の中人と人しか居ないから難しいですよね!
あくまで石場の個人的な考え方の独り言として捉えて下さい、最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
嫉妬、妬みは自分をダメにしてしまう!
他の人のことを嫉妬したり妬んだりしてもそれは何の役にも立たない!逆に自分自身がひくつになっていくだけです。
嫉妬や妬む気持ちも分からないではないが、嫉妬や妬む暇があるなら一生懸命ひたすら努力するしかないのです。
危険なのは、自分自身については嫉妬や妬む事は無くても、我が子のことになると自分が努力出来るわけではないから子供の事を思うが余り、他の子の事を嫉妬したり妬んだりしてしまう事がある。
嫉妬や妬みからは発する言動は混乱をさせてしまうだけでひとつも建設的な事は生まれない。
逆に人間関係がドロドロになるだけで良い事はひとつもない。
羨ましくなって、いいな〜〜という程度なら問題ないがそれを超えてしまうと危険な状態になってしまう。
子供達には他人を妬んだり嫉妬する事なくひたすらコツコツ努力する事、他人に振り回される事なく努力する事を身につけて欲しいし、嫉妬や妬むのでなく、良きライバルとして敬意を払い共に成長出る様になれる考え方と行動が出来ると良いなと思っています。
あくまで石場の個人的な考え方、独り言として捉えて下さい、最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
子育ては我慢忍耐と自立を子供が身に着けられたら成功!
子育てはとても大変で何をどうすれば良いか新米お母さんはみんな試行錯誤で子育てをしています。一人目より二人目三人目と色んな事が分かっていきます。
その家庭家庭でいろんな大切な事、考え方は異なっていると思いますが、基本的に人として我慢出来る事、耐える事、一人で何でもできる自立はどの家庭であっても人としての共通認識として学ばないとならないスキルだと思っています。
その我慢の教え方やり方は様々でその家庭で違ってよいと思います。
家庭内暴力はどのように起こるのか?それは幼稚園、小学校の時に子供がおもちゃが欲しいとねだる!買わないと愚図る!面倒だからせいぜい数千円レベルだから簡単に買ってあげられるから、何も考えないで買い与える。
その認識を子供が持っていると、子供は愚図ると買ってもらえると認識する。やがて高校になってバイクが欲しくなる、パソコンが欲しくなる、高価な物が欲しくなる。
子供にとっては高価なバイクも幼稚園の頃のおもちゃと同じ認識なんです。あの時は買ってくれたのに、どうして買ってくれないのか?と愚図る!愚図れば買ってもらえる事を認識しているから愚図る、しかし高校生の愚図るは暴れるになる。
小学校の頃のぐずりや暴れても親として抑えられるが、高校生になったら抑え込むことができない。
それが家庭内暴力の始まりなんです、自分の要求が満たされない我慢できないからなんです。
だから、小さなうちに我慢を覚えさせとかないといけないのです。頭が良い悪いはその次です。
もちろん頭の良い子、話せばわかる子はそもそも家庭内暴力にはなりません。みんな我が子は話せばわかると思っていますが、大間違いです、過保護に育った子供は感情の方が優先するので必ず暴れます。頭が悪くてもいい、人に迷惑をかけないように我慢、忍耐、自立をキーワードにして子育てしてみてください。
必ず良い子に育ちます。石場が保証します。
あくまで石場の個人的な考え方であり独り言としてとらえてください。最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
ノックの時にお願いしますの意味
ノックをしてもらっているのに、何も言わないでだまーってノックを受ける子がいる。
終わっても何も言わない?石場道では失礼極まりない行動です。
そんな事を大事と思わない教えもあるだろうからあくまで石場道の考え方ですが、例え、ノック出しが仲間であっても、後輩であっても、ノックをしてもらっているのですから、誰であっても「お願いします、ありがとうございます、ありがとうございました。」毎回は必ず言うべきだと思っています。
ノックをしてくれる人がいなかったら自分は練習が出来ない。ノックを受けるのは当たり前と思っているから言わないのか?感謝の気持ちが無いから言わないのか?それともそんな事も何も考えていないのか?どうして言わないのかわからないが?子供達にはその習慣をつけさせることが、その子の人生を豊かにすると思っています。
この礼儀の習慣があれば、世の中に出た時に誰にでも好かれます。
逆に、優秀であったとしても礼儀知らずだとそのうち相手にされなくなる。
能力や才能があったとしても礼儀が足らなくてその子の人生が豊かなものにならないとしたら、
それは本人にも問題があるが、それを教えてこなかった大人の責任でもあります。
我々大人は子供たちに正しい教育をしていかなければならない責任があると思っています。
バドミントンだけが強くなってもダメなんです、人としての礼儀を身に着けていなければ社会に
出てからは誰にも相手にされなくなるんです。
我々が大人に礼儀を教えてもらったように、教えは未来につないでいかなければならないと思っています。
自分だけ出来てもダメなんです、みんなで明るい未来に出来たら素晴らしいなと思っています。
あくまで個人的な考え方です、共感して頂ける方と共に世の中をよく出来たらいいなと思っています。
石場の個人的な独り言としてとらえて頂けると嬉しいです。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
褒めて育てた方が良い?
今世間では褒めて育てた方が良いと言われる方が多いと思いますが、もちろん褒めることはとても大切なことだが、その他の叱る、ほっとく、教える、諭す、考えさす、等子供にはいろんな感情を経験させ学ばせなければならない。
だから、褒めるだけで育てると片手落ちになってしまい、叱られた時に立ち上がれない子になってしまう。
その時々でバランスが大切、いいね程度は沢山あっていいが、すご〜い程度の褒められは少ないほうが褒められた時の喜びは大きい。
叱ってばかりもダメでとにかくバランスが大切、子供の事を良く観察することが大切で気にかけていたら、ここだ~と褒めるや叱るが感じ取れるはずだ!
子供は親に認めて欲しい、だから褒めることは認められたと感じるから嬉しい。褒められたいから認めて欲しいから頑張るのですが、
子供を認めるとはその子のダメなところも良いところも認める事なんです。ダメなところは短所ではなく長所でもあるのです。
だから、叱る時は、失敗した時や上手くできなかった時ではなく、怠けたり、ふざけたり、いい加減だったりしたときに叱られる事です。
一生懸命頑張って間違ったり、失敗したり、うまくいかない、遅くても、出来が親の考えるレベルでなかったとしてもチャレンジしたことを褒めてあげたうえで何故失敗したかを諭すことが大切。
だがいい加減だったり、なめていたり、中途半端だったりした失敗ならしっかり叱ることが大切です。
親から優しくされ、叱られる事なく育てられた家庭の子はとても良い子である事は間違いありません。しかし打たれ弱い、競争に負けた時や、叱られた時心が折れる子が多いし、ちょっとして事でビクビクしていたり、諦める子が多い。
社会に出たら世の中の人は優しい人ばかりではない、意地悪な人もいるし、競争のない社会は無い。家族だけは優しい分かってくれる、だから家に引きこもりを生んでしまうんです。親は必ず先に亡くなります、その子を生涯面倒見ることは出来ないのです。
だから、強い子に育てて欲しい、それは子供の為なんです。
叱れない親のほとんどが叱らないのではなく、叱れない事の方が多い、叱れないことを正当化して褒めて育てることがいいとなる。
叱る時は叱る方も心が痛いがその子の事を思えばこそ嫌われる事覚悟で叱るのです。
子育てはとても難しい、親も人間だから親としの勉強、試練、学びですね。
未来を背負う子供たちをみんなで頑張って育てて行きましょう!
子供とともに我々親も成長させられているそんな風に思えたらもっと楽になれるかも知れませんね。
あくまで石場の個人的な考え方であり独り言としてとらえてください。最後までお読み頂き感謝します。
石場の独り言
大声は自分を助ける
大きな声を出せる人は、困った時、襲われた時、危険な時に「助けて~」と大きな声で叫べれば自分の身を助ける事になる。
だから、普段から大きな声を出せるように訓練した方がいい。
今の世の中声を出すことがなくなってきた、公園で遊べば大声を出さないと友達に聞こえないけど、今は家の中で仲間と一緒にゲームは無言でするだけ。
今や大きな声を出す訓練はスポーツや武道で鍛えるしかなくなった!
勉強が出来ても自分の身は守れない事もある、もちろん知恵が身を守る事はあるが、
大声は大切なスキルです。イシバジャパンはそんな意味で大声を出す訓練をしています。
バドミントンが弱くてもいいんです、大声をだせるようになったら、自分を支える事ができるのだから。
勉強も大事です、でも同じくらい大事なのが人間力です。大きな元気な挨拶も身を助ける!
呼吸の事考えたことありますか?
ラリーしてる時、ショットを打つ時、呼吸はどうしてますか?
ショットを打つ前に、息を吐いてから、呼吸を止めて、ショットを打つ!
こうしないと、吸ってから打つ時身体が力んでしまいミスをする。
ラリーが長くなると苦しくなる、そうなると呼吸が乱れる、苦しくて呼吸を止めて打てなかったりしてミスをするんですよ!
息を吐いて打つ事を心がけるとミスはかなり減りますね!試してみてください!
石場の独り言
ノックの時にシャトル拾う意味
何故ノックの時にシャトルを拾うのか?いたって簡単、誰も拾わないとシャトルがなくなる。
もっと言えば自分がノックを受けれるという事は、誰かが自分の為にシャトルを拾ってくれていると言う事です。
だから、次の人の為にシャトルを拾ってあげないとならない。拾ってくれてありがとうという感謝の気持ちを持って拾う事を教えないとならない。
拾わない子はズルイと言うことになる。その事を何とも思ってない、そんな事を考えた事もない子がほとんどです。だから、その事を教えてあげる事が教育であり必要なだと思っています。
また、腰を落として拾えばトレーニングにもなる。
ノックのシャトルはボロボロだけど、ボロボロでも大切なシャトルです、大事に扱えと私はうるさく言ってます!そうすればボロボロでも寿命が少し伸びる、それも自分達の為だ、物を大事にする心も教えて行かねばならない。
こんな話を聞いたことがある、子供が沢山ノックができるように、親がシャトルを拾って子供はつぎのノックにそなえる、これも上手くなる強くなることだけを重視した考えで言えば正しいので否定しているわけではありません。どんな考えを主にするかで行動は変わりますからね!
私はスポーツは精神を鍛える場と考えているので感謝の気持ち、お互いの協力の精神、何より、自分が好きでやっていることならば自分でできなければダメだと思ってます。
親は手を出さないで見守っている事が愛です。親が拾ってあげるのは子供にとって訓練になっていない、手を出して助けてあげたい気持ちを抑える事は親の試煉、訓練ですね!
単純なシャトル拾いの中に色んな大切な意味がありますね!
あくまで個人的な考え方であり石場の独り言としてとらえて下さい。最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
因果応報の世界
皆さんご存じだと思いますが、この世は因果応報の法則で成り立っています。
因果応報とは自分がしたことはすべて自分に返ってくるという法則です。
友達に意地悪をすると全然違う所で他の人からイジメにあう嫌な思いをさせられる。
逆ももちろんある、友達や他人に親切にしたら、全く違う所で親切にしてもらえる事が起こる。
家で奥さんに意味もなく当たり散らす、そうすると会社で上司に取引先に嫌な思いをさせられる。
努力も言動も優しさもすべてかえって来るのです。同じ形でかえって来るのです。
この法則がわかっていたら意地悪もしないだろうし逆に人に親切にできるはずなのだ。
でもそれを知らないから、教えてもらってないから、SNSだと誰にもわからないだろうと、悪口を書き込んだりしていじめを平気ができる。
しかしそれは負のスパイラルに入ってしまうからどんどんエスカレートしていくだけで自分の人生を悪い方向にしてしまう。
もちろん幸せなスパイラルもある、人に親切にすれば、自分に返ってくるから嬉しくなるしまた人に良い事をする。
幸せのスパイラルになるのだ。
こう言う事を家庭で教えられたら子供は幸せになれる。
何故因果応報が何故分かりずらいかというと、したことがすぐに返って来ないで、しばらくしてから返ってくる事が多いからそれが実感できないのだが、確実にその因果応報の法則は存在しています。
神様はお天道様はいつでもどこからでも見ています、と言われて育ちました。
悪いことをしようとその時に見られているからやっぱりやめとこう!と思いとどまる事が出来た。
人にとって何より大切な事は教育なんです、この教えも一つの教育なんです。
あくまで一人の個人的な考え方であり、他を否定している訳でもなく、石場の独り言としてとらえて頂けると嬉しいです。
世の中全ての人が暖かく素晴らしい人生になって欲しいと願っています。
石場の独り言
痛みを知らないから人を平気で傷つけられる!
人は自分が経験していない事は分からい。頭ではわかっているつもりでも実際に経験しなければ絶対にその時の気持ちはわからいものです。
男性が妊婦さんの出産の苦しみは、頭では痛いだろうな?と想像は出来るが、絶対にその痛みその時の心境は分かるはずもないし、人によってその痛みの違いもあるから絶対に分からないといえる。
今の世の中、喧嘩はダメですと子供同士でのつかみ合い、叩きあいの喧嘩もさせない、できない。
喧嘩は子供のうちにして痛みを経験しておかなければ、大人になっての喧嘩では加減がわからなくて死なせてしまうことがあるんです。
子供が危ないと市に抗議して公園の遊具が撤去されている。
遊びながらケガを経験しないとどうやったらケガするのかさえも分からない。
自分で自分の首をしめている、子供同士の楽しみもけがをする経験を奪うことは子供たちの事を
思っているようで実は子供たちは被害者なのです。
親は子供に怪我をさせたくないから我が子に包丁も持たせない。私は母親にお手伝いと称して、一緒に料理を作ろうねと、包丁の持ち方を教えてもらい、やってみなさいと見守ってやらせてくれた。少々のケガは何の問題もない、指を落としてしまうことにならないように注意して見守っていれば大ごとにはならない。
怪我をさせないようにするのは過保護で、子供は怪我することもなく喧嘩することもないから痛みがわからない、知らない。
親であっても体罰は犯罪といわれ手を上げる事はなくなった。叩くことは良いとは言わないが、痛みを経験するという点から言えばとても貴重な経験だと思っています。
いずれにしても、ゆがんだ形で守られ育ってきてしまうと色んな痛みを知らない。
痛みを知っている人は簡単に人を傷つけることはない。転んで血だるまになった経験があると、他の人が同じような転び方をすると、自分の体が反応し身体に電気が走る。
小さなうちに色んな痛みや怖い経験すれば良いのだ、高いところから飛び降りて痛い目にあったり、喧嘩して痛い目にあったり、料理を手伝って痛い目にあったりその全てが素晴らしい経験となるのだ。
怪我する事が分かっていても経験させられる人は素晴らしい。子供を見ていて転ぶぞ~転ぶぞ~ほら転んだ~そんな経験をさせてあげたい。
大けがや死ぬ目に合うような経験は止めなければならないが少々の痛みを伴う経験は小さなうちにしておくべきだ。
痛みを知れば人に対して温かな心をもって接する人になれるから。
あくまで個人的な考え方で石場の独り言として捉えて下さい。最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
我が子をどう呼んでますか?
〇〇ちゃん、〇〇君ですか?それとも呼び捨てですか?
私はクラブの子供たちは全て呼び捨てで呼んでます。
何故なら、我が子同然と思って育てていますから、ちゃん、君はつけません。どうしても遠慮が出てしまいます。
ちゃん、君はそもそも他人の子供を呼ぶときに使います。
だから、もし、我が子に使っていたとすると、それは我が子を他人扱いしているのと同じです。
責任のない呼び方がちゃん、君なんです、だから、責任のないおばあちゃんは可愛いだけだから〇〇ちゃんと言います。
我が子を責任持って育てるならばちゃん、上手く行かないと考えています。
何故なら、しっかりした家庭内教育、躾、教えをするのであれば親と子という上下関係を築いておかねばなりません。
ちゃん君と呼んでいる関係ではどうしてもお互いが甘くなってしまいます。
子育ては真剣勝負なんです、 呼び方はとても大切な事で重要な事なんです。
特に親と子という上下関係をしっかり設定しておかなければ絶対に子育ては失敗してしまいます。
イシバジャパンでは家でも親に敬語を使えと指導しています。おはようございます、おやすみなさい、
行ってきます、只今帰りました、いただきます、ごちそうさまでした、お願いします、ありがとうございますなどです。
ちゃん君の危険なのは、可愛あまりにいつのまにかペット扱いになってしまうということです。子育てではなく玩具扱い!
そうやって育てられた子供は親の被害者と言えます。
責任を持って育てる時に、我が子が可愛いなんて言ってられません。他人様に迷惑をかけないように、他人様を傷つけないように、いじめをしないように、人を助けられるように、子育ては真剣勝負なんです。
何度も言いますが、 ちゃん君ではどうしても遠慮がでて踏み込んでとことんという感じにはなれません。
昭和の考え方なのかもしれません。しかし私は昭和の教えで良かったと思ってます。だから、我がジュニアの子供たちは我が子同然ですから昭和の教えをもって人として立派になれるように育てていきます。
あくまで石場の個人的な考え方であり、独り言として捉えてください。最後までお読みいただき感謝します。
石場の独り言
我慢
試合の時ミスをすると、切れてイライラして更にミスを連発して負けてしまう事がある。
切れる=我慢ができない、我慢できない=我慢させてこなかった。
我慢させてこなかった=親が楽をしてきた。
我が子に小さな頃の子育ての中で我慢の訓練をさせてこなかった事が大きな要因のひとつとなっています。しかし親は試合で負けると『何で切れるの、我慢が足りない』と子供を叱る事がある。
我慢が出来るかどうかは幼稚園児まで、遅くても低学年迄で決まります。
我慢させるのは親としては辛い、そして子供にぐずられると面倒だから、すぐに子供の要求を満たしてあげてしまう。そんな安易な考え行動が結局我が子が我慢できなくて苦しむ人生を作り出してしまう事になる。
試合で切れたとしてもそんなに問題にはならないけど、大人になって腕力もついて社会で頭にきたから我慢できなくて殺してしまった、っとなってしまったら子供も親も家族全員、親族全員悲惨な事になってしまう。
切れるとは自分を抑えられない、抑えられなければ人を殺めてしまう可能性は誰にでもあるのだ。
子育ての苦しみは数年間でで終わるけど、我が子が人を傷つけたり、ストーカーになったり、人殺しになってしまったら親も子も一生苦しむ事になるのなら、絶対に子育てで苦しんだ方がいいと思い思っています。楽をしたつけは必ず自分に返って来ます!
スポーツの場で我慢を学んで欲しいと願っています。
あくまで石場の個人的な考えで独り言として捉えてください。最後までお読み頂き感謝します
石場の独り言
何が正義で何が悪なのか?
何が正しくて何が正しくないのか?
正義を振りかざした時、悪にもなり得るし、
悪もまた正義となることもある。
正義側から見れば、逆の悪側は悪になる。
また、悪側から見れば、逆の正義側は悪になる。
正しいと思う方向から見れば、その逆は正しくないことになる。その正しくない方向から見れば、また、その逆は正しくないことにある。
悪か正義かはどの方向、角度から見たかで異なる。
だから、自分の考えも正しいし、また他の逆の
考えもその方向からはまた正しい。
だから、他を批判することはあまり意味のないこと。
大きな視野で言えば、全てが正しいことになる。
世の中には沢山の思想があり考え方があります。
仏教を信じている人には仏教が正しく、キリスト教を信じている人にはキリスト教が正しい。この場合お互い批判しても
生涯交わる事はなく、対立しか生まれない。
大切な事は自分の信じる道を、信じる考え方を全うしていくだけです。自分はどのような考え方に共感し自分の為になる教えを選択しより良い人生にするために前を向いて、精進すること。
ジュニアクラブ選び等もまた同じで、勝つ事重視のクラブもあるし、楽しく重視も、様々な考えの元に運営されていますが、その全てのクラブの考え方は正しい。
だから、入ってはみたものの、その後賛同できないと言うことがあったなら、分かったら批判したり抗議しても解決にはならない。
何故ならどちらも正しいからです。そんな時は批判ではなく、自分の先見力、見抜く力を反省する事の方が己の成長になると思います。
この投稿、石場の独り言に対しても、異うと思われる方は沢山おられると思います。
それもまた正しいのです。だから、批判や排除するのではなく、そのような考えもあるのかと見識を深められたら、より素晴らしい人生になると思っています。
夫婦であっても親子であってもそれぞれがまた正しいから難しいですね。
自分の主張を通すのではなく、相手に納得してもらえたら、ふに落ちたなら、それは夫婦でも親子でも同じ方向になるから幸せになれる。
この投稿はあくまでも石場の個人的な考え方であり、誰かを批判している訳でもないし、単なる独り言としてとらえて頂ければ幸いです。
最後までお読み頂き感謝します。
共感して頂きましたら、他の方にも見て頂きたいのでシェアして頂けると嬉しいです。宜しくお願いします。
石場の独り言
叱られるべき事と褒められるべき事
わたしが叱る時は、いい加減な時、ふざけた時、人を馬鹿にした時、意地悪した時、ズルをした時、約束を守らない時です。
褒める時は、勇敢にチャレンジした時はもちろんのこと、他にも沢山褒める時はありますが、バドミントンにおいてミスした時、試合で負けた時に叱る事はありません。
何故なら、子供達は試合のその瞬間に何を打つか必死に考えて決断して打ってるけどミスをしているんです、勇気を持って決断し実行した事を叱ってしまうと、その子は2度と自分で勇敢に決断することができなくなります。ミスを叱ると、自分の決断を否定されたことになるのです。
例えば、スマッシュをミスすると、なんでスマッシュを打つんだと怒鳴られる、同じような展開で、さっきはスマッシュで怒鳴られたから、ドロップにしようと打ったら、なんでスマッシュを打たないんだと怒鳴られる。
こうなったら次に何打てば良いのか分からなくなる?そしてまた同じ展開になった時、悩んでしまって中途半端になると、なんで思い切って行かないんだとまた怒鳴られる。
間違っていたとしてもミスをしたとしても、自分で決断した事は褒められるべき事なんです。
結局、怒鳴る人の考え方のようにしないから怒鳴られることが多かったりします。
ミスしていなければ恐らく怒鳴られなかった、と言うこともありますね!
試合をしているのはその子であって、コーチでも親でもない。その子の決断、判断を信じるしか無いのです。試合の時にその瞬間に何を打つのか、その子が決めたのだからミスをしても怒鳴ったり叱ったりしてはダメだと思ってます。
もし、判断が間違っているのなら、それは練習の時にしっかり指導の中で伝えておくべきだと思っています。
私はミスした時には、それも選択も良かったけど、こっちの方がもっと良かったと思うよ!と言います。決断した選択は認めた上で、もっと最善な事があるのならそれを伝えます。最善が無い時は、いいよ、大丈夫、と声をかけます。
負けた時は、ダメなところが分かってよかったね!初めての試合だったりした時は、勇気を持って試合に出たこと自体が素晴らしいし、最後までやりきったことは素晴らしかったと伝えます。負けても褒められたら、またチャレンようと思えるが、勇気を持ってチャレンジしたのに叱られたら、2度とチャレンジする事は無くなるでしょう!
弱気で負けたりした時は説教します、自分に負けたのですから、普段の練習の時にダメなところがこうなるのだと!
そして、コーチや親の顔をいちいち見る子がいます、これは家庭環境が大きく影響していると思いますが、自分の選択が間違っていなかったか?確認したくて顔を見る子がいます、怒られるのではないか心配したり、ミスすると怒られるんじゃないか心配なのでしょう。この状態はプレーに集中してなくて、コーチや親の事が気になっています。これでは勝てるものも勝てません。
わたしはこの子には普段からこっちを見るな、試合に集中しろ、プレーに集中しろ、ラリーに集中しろと指導しています。試合の時は相手から目を話すなと伝えています。
指導者も親も我が子が決断のできる子、勇敢に行動できる子、果敢にチャレンジできる子、自信を持って行動できる子、プレーに集中して没頭出来るようになって欲しいと願っています。
子供がチャレンジした事は間違っても失敗しても絶対に叱ってはいけません!
叱る時は、不真面目で失敗した時、ふざけて失敗した時、いい加減な気持ちで失敗した時はしっかり叱るべきです。
真剣に本気でやったのならば、負けても失敗しても叱ってはダメだと思っています。
その判断がなかなか難しいですが、本気だったか?ふざけてたのか?見抜かないとなりませんね!結果で叱ってはダメです!
私は日体時代、勝っても叱った事は沢山あります。結果も大事ですが内容が何より大事だと思っています。
あくまで石場の個人的な考え方なのでありからず、最後まで読んで頂き感謝します。
石場の独り言
挫折
我が子が挫折するのは親としては可愛そうで辛いのは良く分かる。
しかし、挫折を知らないで大人になった子は挫折を乗り越えられず、引きこもりになったり、仕事を辞めてニートになったりそうなったら親としてもっと辛いことになるはずです。
子供の頃の挫折はまだ小さいし、親も支えられる。だから、子供の頃に挫折を経験させる必要があるのです。挫折するのを親としてみるのは辛い!それは、親自身が辛いだけで、挫折を知らないで育った子が大人になって挫折した時、本人が一番苦しむ!
挫折を乗り越えてきた子は強い、どんな境遇になってもどんな環境でも乗り越えられるだろう。親として指導者として早いうちに挫折を経験させる事が本当の愛だと思ってます。
昔の人は苦労は買ってでもしろ!と言ってます。ライオンは我が子を谷底に突き落とすと言われています。
苦しい事、挫折は本人を大きく成長させる。
挫折のない人生はない。必ずどこかで挫折を味わう、経験する。
ならば、子供の頃に経験しといたほうが楽です。
子供の頃から勝ち続けた子が、負け知らずでくると、大人になって負けた時の挫折は大きい!だから、小さなうちは負けたり勝ったりを繰り返したほうがいいんです。
親は我が子が世の中を力強く生き抜くための素子を作り上げるために、今どんな事をしたほうが良いのが経験したほうが良いのかを考える役目があるのです、責任があるのです。
だから、子育ては大変なんです。我が子に辛い想いをさせたくないと言う考え方は過保護になっているという事を認識しなければなりませね!
あくまで石場の個人的な考え方の独り言なのであしからず!
最後まで読んだ頂き感謝します。
石場の独り言
私がジュニアを始めた理由は、強い選手を育てたいと考えた訳ではありません。
今から15年前頃、ゆとり教育のせいか学校では競争がなくなり、土曜日は休みになり、上下関係が崩壊し、何でも平等という不平等教育がなされ、道徳はなくなり、先生の威厳は失墜し学級崩壊が当たり前になり、言葉も崩壊しヤバイの一言ですまされた。
いじめで友達を平気で追い込み自殺者が増え、小学生による殺人まで起こってしまった。
このままでは子供達の未来も日本の未来も崩壊してしまう。
私に出来る事は、バドミントンというスポーツを通じて人としての本当の優しさ、強さ、労り、助け合いなど、人として心を育て、身体を鍛え、自殺する子が出ないよに、いじめをしない子に、いじめられたとしても強く耐え抜く子に、素晴らしい本物の仲間を作らせ人生を力強くて生き抜いて欲しいと願い、一人でも救えたらいいなとジュニアを15年前に立ち上げました。
15年間でクラブに関わった子供達は数百人になりますが、何人に伝えられたかは
わかりません。一人でも理解し人としての美しい心を身に着けてくれていたら嬉しいなと思っています。
その子達がやがて大人になり親になって我が子に正しい教育、躾が出来たらいいなと思っています。
私のジュニアクラブには学習障害、コミュニケーション障害、その他の障害を持った子が何人もいます。
親は我が子にどうにか成長して欲しいと門を叩いてきます。その子達も自立して生きていかなければなりません、だからその子達もこのクラブを通じて沢山のことを学び、仲間を作り世の中を力強く生きて行って欲しいと願っています。
強いチームを作るなら、障害を持った子はお荷物ですが、私は在籍している子供達にるとっても、世の中には色んな子がいる事を知る事が必要であり、そしてそんな子達と共に助け合いながらやっていく事を学ぶ良い機会であるとも思っています。
強くなれるこ子には、その子にあったプログラムを用意すれば、莉子のようにもなれるので強くなれないこともないし、逆に言えば精神を鍛えた方がより強くなると信じています。
毎日、全国各地で沢山のジュニアの指導者の方々が、子供達の身体を鍛え、心を鍛え、人としてその子が素晴らしい人生を送れるような指導をして頂いている事に感謝しています。限られた時間の中で、お忙しい中で時間をさいて、ボランティアに近い形で尽力頂いている人もおられ本当に心から敬意を評します。
子供達には人としての心得を身に着けた上で、強くなり活躍して欲しいと願っています。そうでなければ本当の意味での価値が無いと思っています。
日体の監督時代は、選手には勝っても負けても観ている人が試合を見て感動するような試合をしろ!と言い続けてきました。
スポーツは人を磨く育てる為にあるのだと思っています。
石場の独り言
人はそれぞれ旬の時期が異なる、バドミントンで活躍する旬の時期はそれぞれ違う!
小学生の時なのか、中学なのか、高校なのか、大学なのか?シニア30代、40代〜70代、80代と様々です。
だから、焦る事なく大好きなバドミントンを頑張っていればいつか必ず自分の旬が訪れる。小中高大の時に活躍できるのは素晴らしいことではありますが、尊いのは諦めずやり続ける事が何より立派で素晴らしい事だと思っています。
小学生で勝てなかったとしてもいいんです。
当然親も子も必死に頑張っているから落ち込むのも当然ですが、次の中学が待っているんです。そんな捉え方で毎年毎年取り組んで欲しいと願っています。
我が子がたとえ思うような成果を上げられなかったとしても、親というだけで追い詰めないで欲しい、頑張ってきた結果であるならば、負けたとしても褒め讃えられる事だと思っています。必ず旬が訪れるのだから、明るく前に進んで欲しいと願っています。
嫌いになってやめてしまったら2度とバドミントンの旬はやってこない!
親も子もバドミントンが嫌いにならないようにいつまでも好きでいて欲しいと願っています。旬とは勝つことだけを言っているのではない、その人がやったー、嬉しい、最高と思える時が必ず訪れるという事です。
もっと言えば、優勝したからエライ訳でもないし、優勝したからといって人間的に素晴らしいかどうかはまた別問題です。
勝てなかったとしても、人として素晴らしい人格に育っているならば、その方が何より素晴らしいのかも知れないし、人生の勝利者になるのかも知れない。
人は得意不得意がある、だから勝てなくても他に大切な役目は必ず存在し与えられている。
高みを目指して飽くなき挑戦、努力することは尊い事なので、結果だけにとらわれないで欲しいと願っています。
結果も大切ですが何より大切な事はそれまでのプロセスなんです。努力しなくても勝てる事は良くある、特に小学生の時は始めた時期が早かったり、身長が高かったりそんな違いだけで勝つ事は良くある。
だから、自分を磨き続け努力をし続ける、その中に尊
石場の独り言
スポーツには色んな意味がありますが、その中でも世界平和の意味があり、己を磨き鍛え、継続する事を学び、諦めない事を学ぶ。また、仲間と共に協力したり、助け合ったり、励ましあったり、そんな心を鍛え、精神を鍛え、身体を鍛え、技を磨き、心技体を学ぶ。お互いが頑張って磨いてきた心技体を競い合い、交流親睦を深め、お互いを高め合う事がスポーツの持っている大きな意味ではないかと思っています。
ライバルがいてくれるから努力し頑張れる、だからライバルは大切な存在なんです。
試合となれば必ず勝敗が決まる、だけどライバルと憎しみあったり、いがみ合ったり、敵意を持ってはならないと思っています。
「ラブオールプレー」という言葉の意味を御存じですか?
「0対0プレー」と認識している方も多いと思いますが、
「LOVE ALL PLAY」なんです。
相手を尊重し敬意の念をもって競い合う事をお願いします」という意味です。
だから、プレーの最初に握手をし、終わったらありがとうございますという敬意の念をもって握手をするのです。
しかし、プレーヤーの中には負けて悔しさのあまりに、プイッとして握手をしない、顔も見ないで指先だけでピッと触れるような光景を目にすることがあります。
試合は相手がいてくれなければ成立しない。負けたことは悔しいのは誰でも同じで良くわかりますが、その時にぐっと
我慢しこらえて、相手の目を見て、ありがとうございますと気持ち良く言える我慢の精神、耐える精神を学ぶのがスポーツであると信じています。
私は日体の30年間一番その点を大切に指導してきました。
ジュニアの我がチーム子には勝っても負けてもそんな態度にはプレー以上に叱っています。
負けたのは自分の心が我慢できないからであって、それを相手にぶつけるのは間違いで、スポーツはそんな心を磨くためにあるのだと思っています。
強くなっても、わがままで自分勝手で我慢の出来ない人では、競技人生が終わってから誰も相手にしてくれなくなります。
だから、私は郡司莉子にも口うるさく10年間かけて指導してきました。
それが出来ているかどうかは今は分かりませんが、心のどこかに忘れないでいてくれたらいいなと思っています。
最後になりますが、スポーツは勝つことがすべてではなく、己の人間性を磨く場であって欲しいと願っています。勝っても負けても沢山の人に称賛されるそんな人になって欲しいと願っています。
石場の独り言として最後までお読みになって頂き感謝します。
石場の独り言
バドミントンを愛する者のひとりとして、バドミントンをしている全てのレベルの方々が、初心者でも、レベルが低くても高くてもバドミントンを楽しんで欲しいと願っています。
初めての頃は当たるのが楽しいし、上手くなってきたら技術を覚えるのが楽しい、さらに上手くなると勝てるようになると楽しい、上級者になると厳しい練習が楽しい、辛い自主練が楽しい、大会の時の緊張感、プレッシャーが楽しい、仲間と共に汗を流せるのが楽しい、身体を動かせるのが楽しい!とバドミントンの関わり方は様々あると思います。
勝ちを追い求めていくのも当たり前ですが、どんな状況、状態、レベルでも楽しく無くなってしまっては悲しい事であり、始めた頃の初心を忘れて欲しくないと願っています。
厳しい指導も叱咤激励も、ライバルと競い合うことも、大いに結構な事だと思いますが、バドミントンが嫌いになって欲しくないと願っています。
バドミントンが楽しいと思えて、幾つになっても身体が動かなくなるまでバドミントンを好きでいて欲しいと願っています。
全国の指導者の方が愛情たっぷりにジュニアからレディースからの様々なカテゴリーで指導されておられる事、本当に素晴らしい事であり、選手からすると有り難い事であり心より敬意を評します。
これから更にバドミントンを愛する方がもっともっと増えていって欲しいな〜〜と願っています。そのお役に立てる一旦になれたら良いなぁ〜と思って情報配信や動画のアップをこれからしていきます。
沢山の方に少しでもお役に立てればと思っていますが、まだこのFacebookを知らない方も沢山おられますので、お知り合いの方にもお知らせして頂いてお友達になっていただけると嬉しいです。
バドミントンを愛する皆さんが、いつまでもバドミントンを好きでい続けて頂ける事を心より願っています。
私の独り言を最後まで読んで頂き心より感謝します。 石場
久しぶりの石場の独り言
辛いことが多い人は感謝の心が育っていない
辛いことが多いと思う人は、些細な事でも辛いと思う傾向があるのだろうが、基本的に感謝が足りないから自分の世界だけしか見えていないから、辛い辛い辛いということになる。世の中みんな辛いと思いをして生活しいる、しかしみんな辛い思いをしながらも感謝の気持ちを持っているから楽しく幸せにできている人は多い!世の中は色んな関わりで、人に助けられたり、助けたり、お世話したりお世話されたり色んな関係で成り立っている。
辛い練習であっても、お母さんが朝飯を作ってくれて、送ってくれて、誰かが体育館を抑えてくれたり、監督、コーチがいてくれて、仲間がいてくれて、自分の為に厳しいことを言ってくれて、有り難い!
と思えたなら感謝できたなら辛い辛いの嘆かないできないはずだ。
子供達には世の中はこうなっているのだから、感謝しなければならないことをまず教えあげなければならない。
教えがないのに感謝しなさいと言われても子供達はわからないものです。
感謝の心が育てば、辛い辛いと嘆くことは少なくなるはずだ。
感謝するような教えを親が出来れば良いのだが、なかなか出来ていないのが現実ではないかと思っています。
ほかの子を叱ったりできない、関わることさえ難しい世の中でどのように子供達に教えをしていけば良いのか思案にくれる。
あくまで石場個人の考え方であり、独り言してお読みください。